お金をかけて塾に通っても本人にやる気なければ意味はない
安藤忠雄さんは、京都大学に通っている知り合いから、建築学科で使われている教科書を教えてもらって勉強したという。ヘミングウェーは大量の読書をした。ヘンドリックスはレコードを聴きながらギターの練習をした。
彼らに共通しているのは、学校に関係なく、「やるべきことをした」ということである。学校に行くお金をかけなくても、必要な情報を得てそれに従って学べば、成果を上げることができる。
逆に言えば、お金をかけて塾や学校に通ったとしても、本人にやる気がなければ意味がないことになる。
人工知能の発達などにより、これからの社会で人間に要求される能力は激変してくるものと予想される。そんな時代には、学校で学んだからそれで一生済むということはありえない。
結局、自分で学習の目標を立てて努力することができる「独学者」であることが一番効率がよく、長続きする。それならば、最初からそうすればいいという考え方もある。
たとえ学校に通っていても頼ってしまうのではなく、自ら学ぶ習慣とノウハウを身につけている人のほうが絶対に有利である。
究極の独学として、家庭で親から学ぶ「ホームスクーリング」がある。アメリカでは、100万人単位の子どもがホームスクーリングで学んでいるという。
興味深いことに、ホームスクーリングの子どもたちには落ちこぼれが少なく、結果として有名大学への進学実績もいいというデータがある。自らの創意で学ぶ「独学」の優位性を示していると言えるだろう。
教育における経済格差の議論は大切だが、行きすぎると、「いい学校に行かないといけない」という時代遅れの教育観に縛られる。
今こそ、独学の可能性に注目したい。