歌のテーマは“愛と夢”。谷村新司の歌声は、時代を超え、世代を超え心の奥底に染み渡る。その活躍の場は、日本を飛び出してアジアに及び、日本とアジアの、音楽の架け橋となっている。
「僕はラブソング以外は、歌ではないと思っているんです。その“ラブ”は、男女間の恋愛感情だけじゃないんです。家族愛、隣人愛、そして、人間愛、地球愛もそうです。苦しんでいる人に手を差し伸べるのも愛。生きる力を与えるのも愛。そして、もう1つのテーマは夢。いつも夢を追い求める人生でありたい。僕の歌のテーマは“愛と夢”なんです」
谷村新司。日本の音楽シーンにあって、独自の「谷村ワールド」を構築し、その歌声は、老若男女を問わず、時代を超え、世代を超えて、心の奥底に染み渡る。
1971年、23歳で堀内孝雄、矢沢透と、伝説のバンド「アリス」を結成、一世を風靡するが81年、アリスは活動を休止する。その後ソロ活動に入るが、歌に託してきた・愛と夢・のテーマは、年齢とともに変化はしてきたが、その思いは一貫して変わらなかったという。
その谷村の活躍の場は、今や日本を飛び出しアジア各国に及んでいる。特に近年は、中国との音楽交流を深め、日本と中国との架け橋を果たしてきた役割と功績は計り知れない。谷村がアジアと初めて関わりを持ったのは、約27年前に遡る。81年8月、日中国交正常化10周年を祝う、日中共同の青年交流コンサートが北京で開催されて、日本からはアリスが招待されたのだ。
「1万人が入る体育館での2日間の公演でしたが、その初日、中国側のオペラ風の歌や音楽の後、僕らが歌ったんです。が、観客は初めて聴くタイプの音楽に、どう反応していいかわからない感じで、客席はシーンと静まりかえっちゃった。これはマズイなと思ってね。そのとき視線に入ったのが、当時副主席だった鄧小平さん。この日のメインゲストで、正面に座っていらっしゃった。
メンバーに合図を送って舞台を降りて、そのまん前でサンバの曲を演奏したんです。すると、鄧小平さんは立ち上がって手拍子をしてくださった。その瞬間ですよ。静まりかえっていた1万人の観客が、一斉にドワーッと立ち上がった。それからは、もうノリノリ(笑)。あのときが、中国に初めてポップミュージックが流れた瞬間だったと思います」