価値観の違いを自覚することが大切だ

朝日社説を読んで、沙鴎一歩の脳裏には、3年前の冬、フランス・パリで起きた新聞社銃撃事件が浮かんだ。ジャーナリストのひとりとして「表現の自由」について深く考えさせられる事件だったからである。

事件は2015年1月7日のパリで起きた。イスラム教の予言者ムハンマドを扱った風刺画を掲載した週刊紙「シャルリー・エブド」のパリ本社が襲撃され、記者ら12人が殺された。

日本の新聞各紙も事件直後から「表現の自由を暴力で踏みにじる行為は許されない」という趣旨の社説を掲載し、テロの卑劣さと表現の自由の重要性を訴えた。

しかし事件から一週間後、シャルリー・エブドが特別号で、再びムハンマドの風刺画を強烈な皮肉を込めて掲載すると、日本の新聞各紙の社説の論調が一様に変わった。

「フランスで『表現の自由』であっても、イスラム教徒には『宗教への冒涜』になる。マスメディアは記事が社会に及ぼす影響を考慮する必要がある。表現の自由を守りつつ、宗教の違いなど価値観を異にする者が共存できる社会を模索すべきだ」

やはり異論に耳を傾け、相手の立場や主張を思いやることを欠いてはならないのである。

「敵視」「排除」は安倍政権だけの責任ではない

赤報隊事件を扱った朝日社説に話を戻そう。

朝日社説はその終盤で「『反日』『国益を損ねる』といった言い方で、気に入らない意見を敵視し、排除しようという空気が、安倍政権になって年々強まっている」と指摘する。

沙鴎一歩もその空気は嫌いだ。しかし「反日」「国益を損ねる」といった言い方がはびこるのは、安倍晋三首相だけの責任ではない。背景にはネット社会の進展があるのだろう。

これまでニュースを伝えるのはマスメディアに限られていた。間違いがあれば訂正や回収が必要になる。このため新聞社や放送局は記者に教育を施し、うそや間違いがないように心がけてきた。

しかしネットでは、だれでも簡単に情報を流せる。「フェイクニュース」を流しても、訂正や回収の必要がない。このためうそやデマが広がりやすい。受け手には情報の真偽を見極める能力(リテラシー)が求められる。

「多様な言論の場を保証し、権力のゆきすぎをチェックするのがメディアの使命だ。立場や価値観の違いを超え、互いに尊重し合う民主社会の実現に、新聞が力になれるよう努めたい」

「言論の場の保証」と「権力のチェック」が、メディアの使命であることには異論はない。ただ「民主社会の実現」には新聞だけではなく、ネットメディアも含めたメディア全体がいっしょになって考えていくべきだと思う。

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