1つの例が、2003年3月に開業した札幌店。以前なら社員を800人は配置した規模で、社員242人、パート236人にアルバイトという陣容で、半年で営業黒字を達成し、同業他社を驚かせた。いま話題の東京・銀座の「GINZA SIX」では、店舗とオフィスをほぼ半々、店はほとんどをテナントにして、業界を「百貨店ではない」と揺さぶった。どちらも、冒頭の改革案の延長線上にあり、「兵形象水」の産物だ。

03年に大丸の社長となり、07年に経営統合をした松坂屋の取締役を兼務しても、四十代からの構えは変わらない。営業改革を続け、成功体験をいくつも捨て、新たな地平に挑んでいく。そんななか、09年に開いた大丸心斎橋店北館では、「新百貨店モデル」という言葉も使う。従来にないブランドの構成や販売スタイルで、少数による効率運営と客層の拡大の両立を目指し、若い女性の支持を得た。

持ち株会社にぶら下げていた松坂屋と大丸を合併させ、その社長に就くと、今度は「全く百貨店ではない新しいビジネスモデルを考える」と宣言する。「GINZA SIX」は新百貨店モデルとは別で、銀座という特性から、形が決まった。バスがそのまま入り、雨の日でもぬれずにいける仕組みなど、銀座だからできることで、百貨店という概念は全くない。

大丸は65年前の1953年、クリスチャン・ディオールと独占契約を結び、ファッションショーを大阪、京都、神戸で開いた。海外デザイナーとの提携は、日本初だった。翌年には東京駅八重洲口に東京店を開店し、江戸店の閉鎖以来44年ぶりに東京へ進出。日本初のパートタイマー制を導入した。

時代、時代に、新たな地平を拓く。その企業文化が「兵形象水」の原点にあり、改革には終わりはなく、山本流にも終わりはない。

J.フロント リテイリング 社長 山本良一(やまもと・りょういち)
1951年、神奈川県生まれ。73年明治大学商学部卒業後、大丸入社。2003年5月社長兼最高執行責任者兼グループ本社百貨店事業本部長、07年J.フロント リテイリング取締役。10年大丸松坂屋百貨店社長、13年4月より現職。
(書き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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