聞くところによると、最近、一部の若い女性の間で戦国武将ブームが起こっているという。なかには武将の足跡を辿って史跡めぐりをする人までいるらしい。戦国時代を題材にした人気ゲームの影響とのことだが、きっかけはともかくとして、これまでまったく興味を示さなかった層が、歴史に親しむようになってくれるのは歓迎したい。
私も今でこそ、歴史小説を読み、資料をかき集め、自身の小説を世に送り出すまでになったが、元来の歴史好きというわけではない。大学時代に出合った司馬遼太郎の作品で、歴史小説の魅力に取りつかれたのだ。以来、司馬遼太郎、海音寺潮五郎、山本周五郎の著作を好んで読む。
では歴史小説をより楽しむための本を紹介しよう。
小説を書くにあたっては、毎回、膨大な資料と格闘するのだが、その際に心がけているのは、一次史料に当たるということだ。誰かがまとめた二次的な資料を読めば十分という人もいるが、私は直接一次史料に接したときに得られる印象をより大切にしたいと考えている。だから原本の読み込みはとりわけ重視する。
そういった意味で、岡山藩士・湯浅常山の手による『常山紀談』や、熊沢淡庵(正興)が編纂した『武将感状記』は必読の書。
この2冊はともに江戸時代中期に書かれた逸話集で、歴史好きの心をくすぐる小話が数多く収録されている。主として有名武将の話だが、無名の人も少なからず登場する。だから余計に時代の息吹が伝わってくる気がするのだ。
織田信長を殺害する前に、明智光秀が愛宕で詠んだ「ときは今あめが下しる五月かな」という連歌がある。これは光秀の明らかな天下取りの意思表示だったのだが、それについて『常山紀談』に収録されているエピソードを1つ、ご紹介しよう。
光秀が羽柴秀吉に討たれたのち、愛宕で光秀と同席していた連歌師の紹巴は、秀吉から疑いをかけられた。そこで彼は、「あめが下しる」ではなく「あめが下なる」と聞いたので、天下取りの意味を成していなかった、しかも残された記録には「し」の文字に削って書き直した痕があると主張し、難を逃れている。
しかし、これには裏があり、秀吉の追及を恐れた紹巴が、もともと「し」と書かれた文字を削って、「し」を書き直していたのだった、というもの。
この2冊には、上杉謙信と武田信玄の逸話「敵に塩を送る」など、有名な話が多数蒐められ、まさに薀蓄の宝庫といえる。
一方、歴史小説を書く者にとっては基礎的な文献である。だから、歴史小説を読んでいると「あの話はここから採ったのか」という発見もある。今でも作品を書く前には必ず一読する2冊。
最後にちょっと毛色の違った本をご紹介しよう。『雑兵物語』は、戦国時代に一般の雑兵たちに向けた戦場での心得集である。トンデモ本と嗤うなかれ。無名の雑兵たちが、戦時にはいったいどんな状況にあったかを示す史料は少なく、貴重な文献だ。
3冊に共通するのは、本を構成する話の一つひとつがコンパクトにまとめられていること。なかでも、とりわけ短いものには2~3行で終わってしまう逸話もある。床に就く前の気軽な読み物としてもいいだろう。