1972年に発見された驚くべき「蝶」は、その小さな羽ばたきによって大きなトルネードを起こすことができた……。
まるで映画にでてきそうなこの蝶は、もちろん実在のものではない。ある学会での講演のタイトルに使われ、その後、「小さな要素が結果として大きな変化をもたらす」というバタフライ効果として有名になった蝶だ。
以来、この蝶は世界各国で目撃され、つい最近も住宅ローンの破綻というローカルな経済問題をきっかけに、世界的な信用収縮という「トルネード」を起こしたことは記憶に新しい。
この蝶の住む世界はあまりに複雑で、これまでの分析型の思考では対応できない。蝶の羽ばたきをいくら分析してもトルネードは予見できないからだ。では分析思考に代わる新しい思考とは何だろうか。
時代はやや前後するが、この問いに答えようとしたのがマイケル・ポランニーの暗黙知の概念だった。
「私たちは言葉にできるより多くのことを知ることができる」という暗黙知は、言い換えれば、蝶の羽ばたきに触れることでその先に起こる出来事を暗黙のうちに「知ってしまう」思考プロセスである。
ポランニーはこれを、近位項(個々の諸要素)から遠位項(統一性を持った存在)へ向かう、言葉に依らない統合の作用だと言った。彼の著書『暗黙知の次元』では、もともと化学者でありノーベル賞目前と言われた天才ポランニーの、統合された遠位項へ向かおうとする気概をブックマークしたい。
同じく遠位項へ向かう強靱な知性をもった人物として思い浮かぶのが橋本治だ。「わからない」ものに対して、わずかな触感(近位項)を頼りに本質(遠位項)を「知ろう」と迫っていくその情念は、桃尻語訳の枕草子、窯変した源氏物語へと結実した。そこにあるのは、分析的に「わかった」明示的な知識の束ではなく、無数に羽ばたく蝶に触れているうちに不意に「知ってしまった」深い暗黙知の森である。
この豊かな暗黙知が可能だったのは、橋本治が「前近代な人間」だからだ。近代的な分析を通さず、ものごとを無差別に取り込んでいく方法により、橋本治は中世や近世を自身の身体の一部へと吸収した。
暗黙的認識に伴うこうした現象を、ポランニーは「事物に内在する(dwell in)」と呼んだ。『橋本治という行き方』という本は、暗黙知が十分に発現した際に起こるdwell inの、実証実験の記録である。
ここでようやくこの書評のポイントにたどり着く。近代を経て現代に生きる私たちは、いよいよdwell inする機会から遠ざけられている。その結果、豊かな暗黙知が働かなくなっている。インターネットのニュースで世界を知った気になっているのはいい例だ。
そんな時代にあって、世界にdwell inしている希有な例として『面白法人カヤック会社案内』を読んだ。サイコロで給与を決めるという彼らは、複雑系の蝶と戯れている。僕はそこに、目指すべきライフハックのかたちを見るのだ。