グーグルは昨年、グーグル・クロームというブラウザを発表した。これは一見、機能の足りない閲覧ソフトにしか見えないが、その設計思想はこれまでと大きく違う。複数のページを開いたとき各ページの動作が独立していて、1つが暴走してもほかに影響しない。クロームは閲覧ソフトではなく、複数のソフトウエアをインターネットで並列に実行するプラットホームなのだ。
このようにインターネットを、いわば電力のような共有のインフラとして使おうという発想を「クラウド・コンピューティング」と呼ぶ。『クラウド化する世界』は、これについてビジネスの視点から書いたものだ。ただ電力と違ってクラウドでは、世界中のコンピュータで分散的に処理を行い、インターネット全体が巨大な並列コンピュータとして動く。いわば全世界のユーザーが電力消費とともに発電(情報発信)も行うのだ。
ところが日本政府が力を入れているのは、大手コンピュータ・メーカーを集めて国産検索エンジンをつくる「情報大航海プロジェクト」や、世界で最も高価なスーパーコンピュータ「京速計算機」だ。特に後者は、30年前の設計思想のスパコンに1154億円もの税金をつぎ込む重厚長大型システムだ。
ちょっと前に「ウェブ2.0」という言葉が流行した。『グランズウェル』は、その主役であるフェイスブックやディグなどの「ソーシャル・ネットワーキング」を紹介したものだ。ブームが終わってみると、ビジネスとしてもうかった会社はほとんどない。
この種のサービスはネットワークを広げることが目的で、既存の企業のように独立採算でもうけるより、そのマーケティングを補完するものと考えたほうがいい。そのためウェブ2.0企業はほとんど上場せず、既存の企業に買収されるのがイグジット(上がり)である。
インターネットを金もうけの道具と考える発想は、もう古い。それはネットワーク上に超分散的に集積された情報を検索して処理する超並列コンピュータだ。金もうけをするにはこれを使いこなすことが不可欠の条件だが、それ自体はきわめて競争的なので利潤を守ることはむずかしく、金もうけには適していない。
こうした分類システムとしてのインターネットの意味を説くのが『インターネットはいかに知の秩序を変えるか?』である。ヘーゲルやドストエフスキーのような大思想を人類の最高の成果と考えるような人にとっては、グーグルは知識を断片化して思想を滅ぼす元凶だろう。しかし本という形式は15世紀の活版印刷以降のもので、流通費用のかかる市場で一定のまとまった分量がないと利潤が出ないという資本主義の要請によってできた形式だ。
情報コストが限りなくゼロに近づくインターネット時代には、情報を特権的な知識人や官僚が編集して民衆に与える必要はない。知識はバラバラの雑然とした「その他」の集積になり、それを個々のユーザーの意図にそって検索しデータベース化するグーグルのようなシステムが、社会のインフラになるだろう。