終盤で朝日社説は「石牟礼文学には西南戦争や島原の乱に材をとった魅力的な作品も多い。通底するのは民衆への深い共感と敬意である」と作品の文学性の強さを褒めたたえたうえで、こう主張する。
「どん底状態に身をおいても、人は希望をもち、隣人を思いやることができる――。石牟礼さんの確信は、今の時代を生きる私たちにとって、一つの道しるべといえるのではないか」
「希望」「思いやり」……。2つとも朝日新聞が好きそうな言葉ではあるが、石牟礼さんの生き方を書くなかで使われることには違和感はまったくない。
読売、産経、日経は社説では取り上げていない
チッソ水俣工場からメチル水銀が含まれた排水が、水俣湾に垂れ流される。メチル水銀が魚や貝、海藻にたまり、それを食べた漁民たちが、手足の感覚障害、運動失調、視野狭窄、難聴に苦しみもだえながら何人もの人々が死んでいった。これが水俣病だ。
毎日社説の抜粋で前述したように国はなかなかその責任を認めようとはしなかった。
被害者に不利な補償、国家賠償を求めた訴訟、厳格過ぎる認定基準、そして政治決着、行政に責任を認める最高裁の判決と“解決”までには半世紀もの時間がかかった。
公害や薬害などの健康被害に対し、行政と企業の対応は遅れ、不作為になる。行政は被害をできるだけ小さく見積もり、「大したことではない」と保身に走るからだ。
水俣病のような健康被害を二度と繰り返してはならない。そのためにも節目節目で問題を改めて考えることが大切だ。
石牟礼さんの死去について、2月16日現在、5つある全国紙のうち、読売、産経、日経は社説では取り上げていない。もちろんテーマ選びは自由だが、朝日と毎日が取り上げて、残り3紙が取り上げないというのは偏りを感じる。全紙が一斉に取り上げるべきテーマではないだろうか。残念に思う。
(写真=時事通信フォト)