美尻グッズやハイサワー特区が人気

田中社長は当初、会社を継ぐつもりなどなく、バレエやジャズに熱中、将来は振付師になろうと思っていた。高校卒業後、ニューヨークのバレエ学校に進学が決まったが、留学直前にプールの飛び込み台から飛び込んだ際に腰を強打損傷し、踊ることができなくなった。

武蔵小山・西小山(ムサコ・ニシコ)地区の居酒屋を盛り上げようと2016年から「ハイサワー特区」を立ち上げた。

留学を断念し、山脇学園短期大学に進学するも、今度はジャズボーカルにはまり、いつの間にかライブハウスで歌うなどプロ活動をするようになった。

卒業後の1982年に博水社に入社し、働きながら東京農業大学の醸造科で学んだ。ハイサワーのライム、青リンゴなど商品ラインアップが増えてきた89年、田中社長は思ってもみなかった大病に襲われた。

「お腹が痛いのをしばらく放っておいて、さすがに診てもらおうと病院に行ったら、難病の潰瘍性大腸炎だと言われて即入院でした。大腸を摘出して人工肛門にするか、時間はかかっても薬で治療するかどちらを選ぶかと聞かれて、内科治療を選びました」

入院したその日から絶食が始まり、点滴のみの栄養補給になった。10カ月後に退院し自宅療養となっても絶食は続き、食事を口にできたのは3年後だった。

「食べるという当たり前のことがこれほどありがたいのかと思いました。自分の力ではどうしようもないことが世の中にはあると学び、精神的には強くなりました。頑張っても結果は良いこともあれば悪いこともあります」

結局、病気が完治したのは10年後だった。その間、84年に宝酒造が「canチューハイ」を発売、ハイサワーの売り上げが落ち始めた。そこで、田中社長は新商品開発に取り組んだが、酒を飲めることのありがたさや楽しさをかみしめながら試作を繰り返した。その思いが、数々のヒット商品には込められている。

特に2006年に発売したビアテイストのハイサワーハイッピーは父、専一がかつて断念したビアテイストの割り材の復活だった。金庫に保管されていた当時のレシピをベースに秀子流のフレーバーを組み合わせて4年かけてつくりあげたものだ。

「中小企業はたいした広告費も使えませんから、時代の半歩先の商品を開発して風が吹くのを待っているしかありません。ダイエットハイサワーはいい例ですね。半歩先を教えてくれる先生は居酒屋やお客さんです」

広告費がない代わりにアイデアで勝負というわけで、水着姿の美しいお尻の写真をカレンダーやポスター、グラス、タオル、トランプなどに印刷した「ハイサワー美尻グッズ」が人気だ。きっかけは、2009年に人気番組「タモリ倶楽部」でハイサワー特集が放映されたこと。美尻女性が踊る番組オープニングにあやかって、美尻ポスターを作って居酒屋に配ったところ、たちまち盗まれる人気で、話が弾むと評判になったので、カレンダーなどを作るようになった。

また、田中社長が先生と呼ぶ地元の居酒屋が武蔵小山駅前の再開発で220軒も退去となることから、武蔵小山・西小山(ムサコ・ニシコ)地区の居酒屋を盛り上げようと2016年から24軒の協力を得て「ハイサワー特区」を立ち上げた。各店にスタンプカードを置いて、はしご酒をしながら3店分のスタンプを集めると美尻グッズがもらえる特典がある。

「これでお客さんが増えたという店もあります。居酒屋チェーンもいいですが、やはり個店を大切にしないといけませんからね」と言う田中社長は、今晩もムサコ・ニシコ周辺の居酒屋でハイサワーと会話を楽しんでいることだろう。

(文中敬称略)

株式会社博水社
●代表者:田中秀子
●設立:1952年
●業種:酒の割り材、缶チューハイなどの製造販売
●従業員:20名
●年商:11億円(2016年度)
●本社:東京都目黒区
●ホームページ:http://www.hakusui-sha.co.jp/
(写真提供=博水社)
【関連記事】
社員を"おまる"と呼ぶトイレメンテのプロ
中田英が認めた酒蔵は"マニュアル仕込み"
鳥取県発「どらやき」年間生産量世界一になった意外な着想
酒場の旬はレモンサワーとジントニック