エリート士官養成学校で教える「指揮官先頭」とは

私は経営コンサルタントで、経営者のコーチ役を務めています。そこで私が繰り返し申し上げているのが「指揮官先頭」という言葉です。私も10人ほどの社員を率いる会社のリーダーですが、自分にも強く言い聞かせています。

もちろん、リーダーは部下がやることをすべてできるわけではありません。それならば、部下は必要ありません。しかし、重大な局面や重要な方針を実行する場合には、リーダーは先頭に立つ覚悟が必要です。

この「指揮官先頭」という言葉は、戦前の海軍兵学校(海軍の将校である士官の養成を目的とした教育機関)で厳しく教えていたことだそうです。指揮官たるべきもの、常に先頭に立って行動することが大切だということです。それをきっちり守って実践したのが、東郷平八郎(1848~1934)です。日露戦争の「日本海海戦」での東郷の行動は、まさに「指揮官先頭」だったと私は思っています。

▼砲弾の嵐の中、東郷平八郎はブリッジに立ち続けた
東郷平八郎(国立国会図書館所蔵)

戦争を美化するわけではありませんが、軍隊もひとつの組織。それを率いるリーダーの言動にはさまざまな教訓が含まれています。

1905年の日本海海戦で、日本の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊と戦った時、連合艦隊司令長官だった東郷は、5時間にわたる戦闘の間、旗艦「三笠」のブリッジにずっと立ち続けたといわれています。それは負ければロシアの植民地になってしまうという、日本国の命運を懸けた戦いでした。

私は記念艦として横須賀に保存されている三笠を見学したことがあります。当時のブリッジは、鉄筋の柵で囲まれているだけで、一発でも被弾すれば即死はまぬかれません。

部下はブリッジの下にある「司令塔」に入ることを進言しました。そこは30センチメートル幅の鋼鉄で守られているからです。しかし東郷は、逆に副官以下を司令塔へ移動させました。そうして一発で指揮系統を潰されることを避けた上で、砲術長と、参謀長(加藤友三郎、後の大将、首相)、先任参謀(秋山真之、『坂の上の雲』の主人公)だけを自分と共にブリッジに残し、そこに立ち続けたといいます。