この夏、日本では映画『シン・ゴジラ』が話題を集めた。「システムでは統御しがたい怪獣」を、一致団結して倒す。そのなかでも印象的だったのは「リーダーシップの不在」であった。あの結末は「それゆえ」のものなのか、「それにもかかわらず」もたらされたのか。判断は個々人にゆだねたいが、「危機のリーダーシップ」について考えされられたことは確かである。「難局」に直面したとき、われわれは指導者に何を求めるのか。いま再評価の機運がたかまっている田中角栄とチャーチルを題材に考えてみたい(前編/全2回)。

「個人の力」はいかにして歴史を動かすのか?

イギリスをEU離脱に導いた主役の一人にして、現外務大臣のボリス・ジョンソン。この「渦中の男」が、祖国の歴史でもっとも毀誉褒貶の激しい宰相とがっぷり四つに組んだ。その成果である『チャーチル・ファクター』はベストセラーとなり、たちまち内外の話題を集めた(多くのイギリス国会議員の「夏休みの読書リスト」に入っていたという)。この書のなかでジョンソンは述べる。

<マルクス主義の歴史家たちは、歴史とは巨大で非人間的な経済の力によって形づくられるものだと考えている。チャーチルはこうした考えに対する生ける反証だ。「チャーチル・ファクター」、つまりチャーチル的要素とは、つまるところ、「一人の人間の存在が歴史を大きく変え得る」ことを意味する>

「個人の力」がどこまで歴史に働きかけられるのか。これは古くて、新しい命題といえる。

『チャーチル・ファクター』(ボリス・ジョンソン著・プレジデント社刊)

1941年、アメリカはようやく連合国の一員として参戦した。欧州で大戦の火蓋が切られてから2年。新大陸の強国が、遅ればせながら「イギリスの戦友」となったのだ。この事実を、ジョンソンは全面的に「チャーチルの成果」として語る。

だが、「チャーチルによる説得」は、アメリカが動いた「直接的きっかけ」ではない。日本の真珠湾攻撃と、その4日後の、ドイツによる対米宣戦布告。アメリカが連合国に加わったのは、この2つを受けてのことだった。

かといって、「チャーチル以外の誰が英国の首相をやっても、大戦の結果はおなじであった」と見るのは誤っている。

チャーチルの前任者・チェンバレンは、ナチス・ドイツに対して宥和的だった。チャーチルがいなければ、イギリスは反独路線をつらぬかなかった可能性もある。そして、カリカチュアにブルドックとして描かれることもあった独特のルックス。チャーチルが、長身美形の「細マッチョ」だったなら――大げさな口ぶりで国民を鼓舞する姿が、かえって胡散くさく映っただろう。猫背で、170センチに充たない肥満体。活力に溢れてはいるものの、「スマート」には見えないチャーチルが呼びかけるから、英国人は「扇動」を感じなかった。

チャーチルは、歴史を支配していたわけではない。時代の流れをどこまで彼が意のままにしたか。その度合いは、ジョンソンが主張するより小さかったろう。それでも、2つの大戦にまたがる期間、チャーチルが「世界の成り行きをもっとも左右した一人」であったことは確かである。では、チャーチルは、どのようにして国際情勢に働きかけたのか。