女子サッカー、ワールドカップドイツ大会で優勝した“なでしこジャパン”。日本中を熱狂させたサッカー日本女子代表だが、優勝にたどり着くまでには、浮き沈みを繰り返した、苦難の歴史があった。監督、選手などの証言を通して、強さの秘密に迫る。

「ワールドカップ優勝は意外ではありませんでした。ただ到達したことのない場所だったので想像するのは容易でなかったです。それでも佐々木監督が、試合前のミーティングやハーフタイムに、『おまえらのプレーをやれば大丈夫だ』と、言ってくれました。そのひと言で自信を持ってピッチに立てましたし、優勝を目標に設定でき、それを現実にできたのだと思います」

FIFA女子ワールドカップドイツ大会決勝で、1得点1アシストをあげた宮間あや。大会を通じて2得点4アシストを記録し、MVPの澤穂希に次ぐ活躍で優勝に大きく貢献した26歳のミッドフィルダーは振り返る。

AP/AFLO=写真

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だが、そこに至る道のりは決して順調なものではなかった。なでしこジャパンが世界一になるために、日本サッカー協会は確固たるビジョンを持って地道な強化を続けていた事実をご存じだろうか。

10年にわたる長期戦略と、佐々木則夫監督の卓越したマネジメント手腕が、優勝をたぐり寄せた。奇跡の優勝は、決して偶然ではない。

キーマンの一人が上田栄治。現在は日本サッカー協会女子委員長として女子のカテゴリーの強化、育成、普及のすべてを担う。「なでしこジャパンの父」と呼ぶべき存在である。上田にこれまでの歩みを聞いた。

「私は22年間、フジタのサラリーマン選手やコーチとして、ベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)というJリーグのチームに出向の形で働いていました。その後、プロの監督としてベルマーレと契約しましたが、成績不振により6ヵ月で解任されます。プロとしてどうやって生きていこうと思案していたところに、サッカー協会からマカオ代表監督の話がきたのです」

小中高校に1人ずつ計3人、難しい時期の子どもを抱えていた。そこに海外単身赴任、さらに外国人を指導したことがないという不安要素もあった。上田は悩み抜いた末、1999年12月にマカオ代表監督に就任する。

「環境の違いには苦労しました。マカオ代表といっても全員アマチュアです。日本でトップクラスのプロしか教えてこなかった私にとってはメンタリティ、文化の違い、サッカーへの意欲など、そのギャップに戸惑うことは多かった。ただマカオはサッカーの人気は高いんです。でも指導者が少ない。そこで日本へ指導者派遣の依頼がきたわけです」