天皇の生前退位と憲法改正問題
安倍首相は8月に天皇の退位希望が判明した当初は、生前退位問題について、「期限ありきではない」と語り、ゆっくりと静かな議論を、という姿勢を示していたが、ここへきて早期決着の方向に舵を切った。公務負担軽減を望む天皇の意思を最優先に、と考えたのも事実に違いないが、理由はそれだけではないと見る。
安倍首相は「在任中の改憲実現」に強い意欲を示してきた。突然、浮上した生前退位問題の検討が長期化すれば、最大の挑戦課題と位置づける憲法改正の障害になりかねない。その点を懸念したのではないか。
2度目の政権は5年目を迎えた。在任中の改憲実現を目指すなら、これからが正念場だ。改憲案の国会発議と国民投票という2つの関門を突破しなければならないが、現状では発議のための改憲項目の取りまとめも、各党協議の壁が立ちはだかり、簡単ではない。
安倍首相の改憲理念は本来、「自主憲法制定・全面改正」のはずだが、2つの関門を乗り越えるために、「1回目の憲法改正は可能な項目から」「順番に少しずつ」と述べ、現実路線を選択する。自身の改憲プランは脇に置き、実現可能なテーマを先に取り上げる2段階作戦をもくろむ。1回目で挑む「可能な項目」としてどの条項を想定しているかは、首相自身が明らかにしないため、明確ではないが、天皇条項は想定外だろう。
天皇制はもともと憲法に基づいて存在する制度で、皇位継承も含め、天皇条項は当然、憲法問題の協議の対象となり得る。国会の協議は衆参の憲法審査会が舞台だが、改憲問題と天皇条項との関係について、衆議院の憲法審査会のメンバーである自民党憲法改正推進本部長代理の中谷元氏は、「これはタブーなんです。取り上げると、国が乱れます。だから、僕らはやらない方向で……」と話している。各党とも憲法審査会で天皇条項を協議の対象として積極的に取り上げる考えはない。安倍首相もその点には異論はなかった。
とはいえ、生前退位問題は皇位継承のあり方と密接不可分のテーマで、本来は憲法の問題として考えるべき課題である。有識者会議だけでなく、国会の憲法審査会でも生前退位問題を議論すべきだろう。ところが、憲法審査会での協議に天皇問題を持ち込むと、改憲の議論が長期化するのは必至だ。安倍首相の在任中の改憲実現は「視界ゼロ」となるおそれがある。特例法制定による生前退位問題の早期決着という内閣の方針は、憲法論議と生前退位問題の切り離しを企図する安倍首相の思惑が影響しているのではないのか。
であれば、来年1月から本格化する生前退位の法整備は、憲法問題も含めた天皇制の中身の議論を回避して、当面の課題処理という弥縫策の検討となる可能性が高い。安倍首相の前のめりの姿勢とは裏腹に、国民の間では「何のための憲法改正なのか」という疑問が根強いが、憲法論議が今も盛り上がりに欠けるのは、その疑問が解消されないのが大きな原因である。改憲実現には国民の憲法問題への関心の高まりが不可欠だが、本質問題をスルーして、改憲という形の実現を図るのが安倍流だとすると、国民の疑問は消えず、関心はいつまでも低調のままで、改憲は結局、絵に描いた餅に終わるだろう。