年が上がるにつれて周囲から期待される立ち居振る舞いは変わっていく。サラリーマン経験がある識者に、年代別の「理想の振る舞い方」を聞いた。

「60代の振る舞い方」
●教えてくれる人:作家 青山文平さん

出口が見えない時代はとにかく自分で考える

私が時代小説を書き始めたのは61歳のときでした。と言っても、初めての小説というわけではありません。初めて小説を書いたのは43歳で、いわゆる純文学でした。取り組み甲斐を感じて勤めていた出版社を辞めたものの、10年で体力、気力ともに使い果たします。それから8年、もう小説とは無縁と思い込んでいたのですが、奥さんが年金受給年齢になって、手続きをしてみると、到底、暮らしていける額ではないことがはっきりしました。私が突然、キーボードを叩いて、時代小説を書き出したのはその晩です。

作家 青山文平さん

舞台に選んだのは18世紀後半から19世紀前半にかけてで、元号で言えば江戸時代の宝暦から文政年間になります。理由は、その時代の武家が置かれている状況が、出口の見えにくい私たちと重なっているからです。現代を生きるビジネスマンは、本当に大変だと思います。働き方の手本が見当たりません。新卒で入社しても、定年までの自分の姿をイメージするのは難しい。リタイア後の姿ともなると、見当もつかないというのが実情でしょう。

戦国時代や幕末なら、「天下統一」とか「尊皇攘夷」というように、シンプルなキーワードで「価値観」が示されていました。そのように時代が大きく動くときなら、流れに身を任せるという選択肢もありえたでしょう。戦後ならば、高度経済成長期です。世の中全体が上げ潮に乗っていて、誰も右肩上がりを疑わなかった。たとえ失敗したとしても、エクスキューズの余地はいくらでも用意されていました。

一方、宝暦~文政年間という太平の世においては明快なキーワードはありません。それどころか、武こそ身上の武士が、文で生きるよう求められます。幕府も諸藩も、組織体制は変わらずに軍団です。だから、武家は腰に二本を差し続けています。なのに、求められるのは行政能力であり、経営能力。彼らは「アイデンティティ喪失の時代」に突き落とされていきます。

そうした出口が見えない時代において、何より大切なのは、とにかく自分で考えることです。なにしろ手本がないのですから、自分で考えるしかありません。拗ねるのも、受け売りも禁物です。その限りで、判断停止しているからです。現実と正面から向き合って考える。とにかく、自分で考え続ける。そうしてのみ、自分ならではの「価値観」が見出されてきます。

直木賞をいただいた『つまをめとらば』に登場するのも、拠り所をなくした武士たちです。でも、彼らは誰一人として現実から逃げません。混迷の時代でも自分の価値観を大切にして、まっとうに生きる姿を描きました。