いまや、自分の死に方すら、自らが望むようにはいかない時代になっています。日本尊厳死協会の副理事長を務める医師の長尾和宏先生に、「自分の望む最期を実現する」方法をお伺いしました。

延命治療が行われる背景とは

「91.1%」――、この数字はNHKの朝の情報番組内で紹介された、日本人が「延命治療を行わないでほしい」と希望する割合です。これだけの数の人が延命治療を避けたいと願っているのに、その願いがかなって自分の希望通りの方法で死を迎えることができるのは、わずか数%しかいません。とても残念ですが、これが今の日本の現実です。

長尾和宏・長尾クリニック院長一般財団法人日本尊厳死協会・副理事長

希望と現実がこのように大きく乖離する理由はいくつかありますが、そのひとつに親子間での死生観の違いがあります。

戦争経験がある80~90代はいくつかの死を見てある程度の覚悟ができている人が多く、延命治療を望む人は少数です。一方、戦後生まれの平和で豊かな時代に生きてきた子の世代は、死を見る機会が少なく、老いのために親が衰弱していく現実を受容できないケースをよく経験します。

老衰が進行し死が徐々に近づくに従い、食べる量も減っていきますが、これは動物の宿命です。しかし実際に親がそうなると混乱する子ども世代が多く、どれだけ親が延命治療を望んでいなくても胃に穴をあけて人工的に栄養を流し込む胃ろうを選択される人が少なくありません。しかしながら、もし栄養を入れすぎると、徐々に最期に向かって省エネモードになっている体に無理な負荷をかけることがあります。

医療者は、相反する親子の思いの間に挟まれ何度も話し合いますが、最終的には延命治療を施さざるを得ない場合があります。そうしなければ訴訟問題に繋がることもあるからです。老衰への延命治療には疑問を感じている現場の医師が少なからずいますし、医療者側も決して金目当てで延命治療をするわけではないのですが……。

また「延命治療=緩和医療をしない」でもありません。人は誰でも痛みを和らげる緩和医療を受ける権利を有していて、医療者はそれに応える義務があります。

尊厳死、安楽死、平穏死の違い

尊厳死と安楽死という2つの言葉がありますが、この2つの言葉はしばしば誤解・混同されます。尊厳死とは「不治かつ末期の状態になったときに延命処置は行わないが、痛みをとめる緩和医療はしっかり受けて、人間としての尊厳を保ちながら安らかな死を迎えること」で、安楽死は「まだ終末期ではなくても、本人の希望を受けて薬剤で死なせること」です。自然な死を見守るのか、意図的に死期を早めるのかの違いですが、誤った報道をしばしば目にします。欧米ではよく安楽死のニュースが出ますが、日本では安楽死は認められていません。

最近は、平穏死という言葉がよく出てきます。これは『「平穏死」のすすめ』を書かれた石飛幸三先生(「延命治療をしないで穏やかに人生を終える『平穏死のすすめ』」http://president.jp/articles/-/18599)が提唱する造語で、自然死、尊厳死とほぼ同義語です。平穏死の方が尊厳死よりより親しみやすい言葉だと思うので、私も「平穏死」を使っています。