ロッキード事件の最高裁判決はおかしい

【田原】石原さんはロッキード事件をどう見ますか。

【石原】僕は参議員のころから国会議員でただ一人、外人記者クラブのメンバーでした。あのころ古いアメリカ人の記者たちといろんな話をしたけど、連中は異口同音に「あの裁判はおかしい。なぜコーチャン、クラッターに対する反対尋問を許さないのか。免責証言なんてアメリカでも問題になっている」と言っていました。あれはやっぱり日本の裁判にとって恥辱。最高裁は謝罪すべきです。

田原総一朗
1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部を卒業後、岩波映画製作所を経て、東京12チャンネル(現テレビ東京)へ入社。76年7月号の「中央公論」に「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」というレポートを書きフリージャーナリストとしてのスタートを切った。

【田原】僕はずいぶん詳しく調べたけど、少なくとも検察の言っている5億円の場所、日時、全部、間違いだね。

【石原】あれは検事の書いた小説。角さんの秘書の榎本(敏夫)がサインしちゃったけど、わけのわからない話だった。それよりロッキード社に関しては、他にもP3C対潜哨戒機(対潜水艦用の航空機)の導入をめぐる疑惑があったでしょう。ところがP3Cの問題は、児玉誉士夫がつぶしてしまった。

【田原】僕はテレビ朝日の『モーニングショー』に秘書の榎本を呼んで証言させて、2日間、ロッキード事件をやったの。2日目の終わりに「明日はP3Cをやる」と宣言したら、僕とプロデューサーは三浦甲子二(元テレビ朝日専務)に呼ばれて、「絶対P3Cは許さない」と言われた。「それでもやる」って言ったら、「それなら番組をつぶす」とまで言われたよ(笑)。話を戻すと、ロッキードの裁判はおかしかった。石原さんは訴えますか。

【石原】最高裁が間違いを認めることで角さんは浮かばれますよ。俺の本が売れたぐらいじゃどうにもならないけど、あの人の贖罪はしなくちゃいけない。だからあなたも協力してください。

【田原】そうね。ぜひ。

【石原】当時、あの裁判のことで世間に盾突いたのはあなたと渡部昇一だけだった。あなたが角さんと対談するときの話もおもしろかったね。

【田原】目白の田中邸に行って1時間待たされて文句を言ったら、秘書の早坂茂三から「実は昨日、親父から『田原についての資料を一貫目、集めてくれ』っていわれて、いま読んでる」と言われた話ですか。

【石原】普通はあなたがインタビューするんだから、あなたが読む。それなのに逆に「一貫目、買ってこい」って、このあたりが角さんのおもしろいところだね。