石油の争奪戦でアメリカがイギリスに勝利

一方、アメリカで最大の信者数を誇る教派は、実はカトリックだ。そしてこれまた日本ではあまり気にする人がいないのだが、フランス革命をはじめ近代ヨーロッパの歴史というのは、つまるところカトリック教会とイギリスの抗争の歴史であり、ナチス・ドイツもこの点を抜きにしては理解しえない。というのも、ナチスを支持したのは主にカトリック教徒なのだ。アメリカのカトリック信者もこの抗争の歴史を引きずっており、イギリスに対して悪感情を抱く者も少なくないのだ。

この、アメリカにおける反イギリスの伝統は、これまでも時たま表に顔を出して来た。そもそも、アメリカが2度の世界大戦でイギリス側に立って参戦したのも、アメリカ国内での親英派と親独派の暗闘があり、たまたま親英派が2回とも勝利したということでしかない。冷戦時代にも、CIAはイギリスのMI6と密接に協力しつつ、元ナチスを大勢雇い入れてもいた。親英派と親独派の間でバランスをとっていたのである。

冷戦が終わり、9.11に始まるテロとの戦争もビン・ラディンが殺されていちおうの決着を見たオバマ時代になって、アメリカはイギリスとの距離を拡げていった。戦争状態が終息するとともに、イギリス嫌いの多数意見が力を得て来たというわけである。たとえばオバマ政権はヨーロッパの様々なトラブルに対してはいっさい口をつぐんで来たが、それは結果としてイギリスを弱め、ドイツの立場を強くしている。

あるいはアメリカとイラン、アメリカとキューバという2つの劇的な和解も、詳細は省くが世界の石油資源の争奪戦でアメリカがイギリスに勝利した結果だという解釈も可能なのである。一方、アメリカに見捨てられると海外権益を維持できないイギリスは、あの手この手でオバマ攻撃をしてきた。アメリカとイギリスは今や表向きこそ緊密な同盟国であっても、テーブルの下ではお互いを蹴飛ばし合っているのだ。

この、ドイツ系・カトリック系が強くなってドイツに傾斜するアメリカとイギリスとの対立という背景を念頭に、パナマ文書事件を見直してみよう。事件の中心となっているのは、およそ40年前に創業したパナマの法律事務所「モサック・フォンセカ」だ。創業メンバーの1人ユルゲン・モサック弁護士はドイツ人なのだが、その父親は武装SSの隊員で、その元同僚たちの多数と同じく、戦後はCIAに協力していた。

もう1人のラモン・フォンセカは生粋のパナマ人だが、つい最近までパナマの名門政党パナメニスタ党の重鎮でもあった。このパナメニスタ党は、パナマにおけるアメリカの強大過ぎる影響力に反発して生まれた政党で、第二次大戦前夜の1939年、同党の前身の政党の党首アルヌルフォ・アリアスがパナマの大統領に就任して、親ナチス・ドイツ路線を打ち出していた。つまり「モサック・フォンセカ」法律事務所には、強烈な「ナチス・コネクション」があるのだ。しかも、間接的とはいえCIAともつながりがある。