ビール系飲料市場も激しい変化と隣り合わせです。キリンは今年1~3月で、業界シェアでトップになりました。情報を収集してマーケティングに生かし、顧客のニーズを的確に捉えたためでしょう。

キリンは2001年11月に、当時社長だった荒蒔康一郎(現キリンホールディングス相談役)が「新キリン宣言」を発表し、「お客様本位」を徹底させました。キリンが変わったのはこのときです。

01年にアサヒに業界首位の座を奪われ、その後差は開きましたが、05年4月に発売した新ジャンル酒(第3のビール)の「のどごし」が大ヒットしたのです。

それまでキリンは発泡酒「淡麗」が、業界ナンバーワンをとっていました。発泡酒と価格帯が近い新ジャンル酒の投入は、「淡麗」との競合を招き、常識的にはリスクは大きかった。しかし、04年2月にサッポロが価格が安い新ジャンルを業界で初めて投入したとき、すでにキリンは「のどごし」を出すと、荒蒔社長がトップダウンで決めていたのです。それは、お客様が低価格を望んでいたからです。当時、生産部門の担当だった私は、新ジャンルの製造免許を秘かに取得し、品切れを起こさないよう各工場の整備を水面下で行っていました。そして、ここ一番の大戦(おおいくさ)に備えたのです。

その後、「のどごし」は新ジャンルのナンバーワンブランドに成長。昨年秋から、多くの支持をいただき、今年第1四半期で業界首位奪回に貢献したのでした。

ビール業界で勝った、負けたはつきものですが、信長も連戦連勝だったわけではありません。美濃攻めや姉川の合戦など、命の危険にさらされる危うい戦いも経験しています。信長のすごさは失敗から多くを学んで成長していく点です。

武田信玄、上杉謙信という戦国の二大巨頭が、もし病死しなかったなら、信長は討たれていたのではないかという人もいます。しかし、私は違うと思う。信玄と謙信は、旧来型の戦いでの傑出した武将で、装備も昔のままでした。だから、最終的には新兵器や諜報を駆使したイノベーションの信長が勝利したと思います。

(構成=永井 隆 撮影=大杉和広)