織田信長(おだ・のぶなが)
1534~82年。尾張の国生まれ。60年、有力大名の今川義元を桶狭間の戦いで破ってその名を天下に轟かせた。「天下布武」を旗印に武田氏、上杉氏、本願寺などの強力な勢力と対峙するも、京都の本能寺で部下の明智光秀の謀反にあって自害したとされる。
心を奮い立たせる三カ条
図を拡大
心を奮い立たせる三カ条

人事政策の面でも信長は、イノベーションを進めました。羽柴秀吉や明智光秀といった途中入社組でも、力のある武将と認めれば引き上げ、逆に譜代の臣であっても十分なパフォーマンスを発揮できない佐久間信盛などは追放しました。

年功制ではない、いまで言う実力本位の人事制度を取り入れました。功ある者には禄を与え、徳ある者には地位を与えていったのです。身分や出自に関係なしにです。しかし、信長には焦りもあったのでしょう。構造改革が早すぎて最後は光秀の謀反により、本能寺で討たれてしまう。秀吉のような籠絡、人たらしの才は信長にはありませんでした。

(構成=永井 隆)