弘兼憲史の着眼点

▼「団塊の世代」にとってデパートは「パラダイス」

私は昭和22年生まれ。いわゆる「団塊の世代」です。そんな私たちにとって、子供の頃の「デパート」というのはパラダイスでした。大食堂では「お子様ランチ」が食べられて、屋上には遊園地がある。「とにかくデパートに行こう」というのが、家族の休日の定番でした。買い物に出かけるだけではなく、総合的な「アミューズメントセンター」でした。

私の地元、山口県岩国市には、当時エスカレーターがなかったので、小学生の頃、自転車で1時間以上かけて、広島市のデパートを訪ねた記憶があります。友達同士で、どうしてもエスカレーターに乗りたかったんですね。

大学生のときには、渋谷のデパートの屋上ビアガーデンでアルバイトをしました。ステージではハワイアンバンドの演奏があって、とてもにぎやか。この頃のデパートは本当に勢いがあった。その後、バブル景気の崩壊を経て、百貨店は「冬の時代」に入ります。特に地方では、中心市街地の空洞化が進み、百貨店のある場所は「一等地」とはいえなくなった。品揃えも、郊外の専門店に見劣りするようになりました。

▼「日本一」の集客を活かしネットとリアルをつなげ

しかし――。大西さんに店内を案内していただくなかで、「百貨店」の価値を再認識することになりました。

特に関心をもったのが「メンズ館」の8階です。このフロアは照明も抑えめで、シックな雰囲気。テーマは「男の生活空間」と「遊び」とうかがいました。壁一面のガラスケースには、高級万年筆がずらりと並んでいます。なかには10万円を超えるような商品もある。そのほか、腕時計や眼鏡、葉巻、パイプ、ウイスキーなど、「男の趣味」をくすぐる選び抜かれた逸品が並べられていて、見入ってしまいました。

男というのは、ある年齢を超えると、植草甚一さんや池波正太郎さんのような「粋なおじいちゃん」になりたいと考えるようになります。そうした人間にぴったりの、「大人のおもちゃ箱」のような空間でした。

私のような「団塊の世代」を取り込む売り場がある一方で、若い人たちに支持される新しい取り組みもありました。本館2階では「クラウドファンディング」でつくられた小物が展示されていました。実績のないデザイナーの商品を、いきなり店頭で販売することは難しいでしょう。しかしインターネット上で不特定多数の人から資金を募ることで、挑戦を手助けできます。商品を売るだけが、ネットの使い方ではない。「日本一」の売り場を活かした試みだといえます。百貨店にはまだまだ可能性があるなと感じました。

弘兼憲史(ひろかね・けんし)
1947年、山口県生まれ。早稲田大学法学部を卒業後、松下電器産業(現・パナソニック)勤務を経て、74年に『風薫る』で漫画家デビュー。85年『人間交差点』で第30回小学館漫画賞、91年『課長島耕作』で第15回講談社漫画賞、2003年『黄昏流星群』で日本漫画家協会賞大賞を受賞。07年紫綬褒章受章。
(田崎健太=構成 門間新弥、プレジデント編集部(バス車内)=撮影)
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