利己を否定せず利他につなげる

「ご縁」というと受け身の感じもするが、栄一は自ら積極的に縁を求めた人でもあった。

「老年となく青年となく、勉強の心を失ってしまえば、その人は到底進歩するものではない、いかに多数でも時間の許す限り、たいていは面会することにしている」(『論語と算盤』)

何歳になっても学ぶ心を失っては、人の進歩は止まる。そうならないためには、忙しくても時間の許す限り、訪れてくる人にはなるべく会うようにしている、という意味だ。そんな面会の機会を得た一人に、イオングループの創業者である岡田卓也の父親である岡田惣一郎がおり、当時15~16歳だった岡田少年は四日市から東京まで行商をしながら旅費を稼ぎ、栄一の自宅を訪ねたそうだ。

「栄一が強運の男だったヒントはここにある。運を持ってくるのは人。時間は有限ですし、面倒くさいかもしれない。けれどそこで人を門前払いするのか、いろんな人と会って意見交換するのか。栄一の家には毎朝、多くの人が陳情に来たが、出勤する前に時間の許す限り会っていた。そういう中で、自分の考えをまとめたり、気づきなどもあったのだろう」

そうしたご縁で出会った人と、どんな関係を築いていくのか。

それが最も大切な点だ。栄一はこうも語っている。

「他人を押し倒してひとり利益を獲得するのと、他人をも利して、ともにその利益を獲得するといずれを優れりとするや」(『渋沢栄一訓言集』)

人を押しのけて、その分まで自分の利益にする人と、人も自分も、どちらも利益が得られるようにする人、どちらが優れているかは明らかだ、という意味である。渋澤はこう解説する。

「利己と利他はよく別だといわれるが、必ずしもそうではなく、私は利己を否定してはいけないと思っている。ただ、利己とはいまのその瞬間だけのこと。ただ、テークだけで、ギブしないというのは、そのときはいいけれども、将来はどうか。いまギブすれば、将来、ギブンされるかもしれない。利己というのはそのときの瞬間のことで、そこに将来という時間軸を刺すと、それがやがて利他につながっていく。結局、栄一は『論語と算盤』で利己と利他のバランスを説いているのではないか」。