出版事業の半数をネット部門に移せ
孫社長の言葉は、そのまま鵜呑みにするのではなく、本質を見極めて理解する必要があります。
94年から出版事業の広告部門に移り、97年にはメディアサイトを立ち上げました。このとき孫社長からは、「これからは、あらゆるものがインターネットに変わっていく。出版事業の400人のうち、半分の200人をネット部門に移せ」と指示を受けました。これをそのまま実行すると、即座に赤字になります。そうなれば間違いなく「赤字にしていいとは言っとらんぞ」と怒られる。だから僕は30人だけ移しました。それでも当時としては破格の規模。このときの決断が現在のアイティメディアに繋がっています。
200人というのは、それくらいの気持ちで舵を切れという意味。孫社長はどんなときもあくまで数字で伝えようとするんですよね。
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【承認欲求】誰しも他者から褒められたい欲求があり、大勢の前で褒められるほど、その欲求は満たされる。孫さんが取引先の前で「若手ナンバーワン」と吹聴することで、大槻氏のモチベーションは大きくアップした。
アイティメディア社長 大槻利樹
1984年、日本ソフトバンク(当時)に入社。89~94年の5年半、孫正義社長の秘書を務める、99年、ソフトバンク・ジーディーネット(現・アイティメディア)を設立、社長に就任。
1984年、日本ソフトバンク(当時)に入社。89~94年の5年半、孫正義社長の秘書を務める、99年、ソフトバンク・ジーディーネット(現・アイティメディア)を設立、社長に就任。
(稲田豊史=構成 原 貴彦=撮影 AFLO=写真)