会社を動かすのは誰か。それはあくまでも、現場の社員だろう。では、社員を動かすのは、どんな経営者だろうか。創業者、大株主、カリスマ。そんなものは空疎なレッテルにすぎない。孫正義氏の何が周囲を心酔させるのか。ソフトバンク幹部たちが初めて明かした──。
――アイティメディア社長 大槻利樹氏の場合

あらゆる指示を数字に置き換える

1989年から94年まで5年半、孫正義社長の秘書を務めました。僕は28歳で、孫社長は32歳。配属初日に昼食へ誘われ、その場で、「これからはイエスが7で、ノーが3にしてくれ」と言われました。孫社長はあらゆることを数字に置き換えて考えますが、そのような指示を直接受けるのは初めてだったので、面食らいました。

そのランチでは、僕を秘書に選んだ理由について、素っ気なく「消去法だ」と言われました。ところが、取引先に赴くと、必ず「大槻は若手の中で一番できる。ナンバーワンですから」と紹介してくれる。「大槻さんは、何が一番なんですか?」と問われると、孫社長は、「こいつは体力だけはありますから」と冗談めかしてこたえていましたが、嬉しかったですね。

アッと言わせる二枚舌の使い分け

その一方で、怒られるようなことはほとんどありませんでした。上司と部下というより、同志のような関係を求めているからかもしれません。

ソフトバンクは意思決定をはやくするため「日次決算」を行っています。これは僕が秘書になってからまもなく導入されたものなのですが、はじめて孫社長から提案を受けたとき、僕は「煩雑さが社員のやる気を殺ぐ」と言って反対しました。すると、「これから俺と一緒に経営システムをつくっていくおまえが理解してくれないと困るんだ」と言われ、社長室で説明を受けました。

最初は僕も譲らなかったんですが、孫社長はホワイトボードに次々と計算式を書いて、講義を始めてしまう。丸1日、社長室にカンヅメにされて、最後には「ここまで本気ならやるしかない」と僕が折れました。

秘書から外れたのは94年のこと。孫社長にはこう言われました。

「本当によくやってくれているけど、このままではおまえの未来のためによくない。そろそろ現場に戻してやる。おまえはそこそこ営業力があるし、そこそこ企画力もあるから、広告の仕事がいいだろう。5年半、俺と一緒にいて得たビジネスのノウハウやセンスを、みんなと共有して、教えてやれ。そのうえでナンバーワンになれ」