【田原】学校へ行かないで、何をしていたのですか。

【道脇】いろいろやってましたよ。好きな研究をやったり、自分で仕事をつくって働いたり。

【田原】仕事? 小学生で?

【道脇】研究費用を稼ぐ目的もありましたが、まず働くことを経験してみたかったんです。人は何のために働くのか、稼ぐというのはどういうことなのかということも含めて、何もわからなかったですから。

【田原】具体的にはどんな仕事を。

【道脇】本当にいろいろ。中学生のころは、下田にある知り合いの漁師の家に住み込んで働いたこともあります。朝の早さと船酔いに慣れなくて、すぐ帰ってきちゃいましたけど。長く続いたのはとび職ですね。本当は設計事務所や研究所で働きたかったけど、中学生は雇ってくれない。当時、学歴がなくてもやらせてもらえる仕事といえば、やっぱり肉体労働。とび職では重宝されて、現場のリーダーまでやらせてもらいました。

【田原】高校はどうしたのですか。

【道脇】一応、入学しました。母から「高校に行かなくてもいいけど、後で行きたくなったら困るから願書だけでも出しておけば」と言われまして。受験したのは工業高校です。仕事は続けていましたが、試験1週間前から現場を休ませてもらって集中的に勉強。内申点は限りなくゼロに近かったのですが、運よく合格することができました。

【田原】でも、高校も行かなくなる。

【道脇】やっぱり集団教育のシステムが合わないんでしょうね。1カ月くらいでまた行かなくなりました。

【田原】やめて次はどうしたのですか。

【道脇】また自分でいろんな仕事をしていました。アホな友達とつるんで、ここではちょっと言えないようなグレーなことも散々やりました。でも、ここを超えると戻ってこられないラインのギリギリのところまで行って、その先に道がないこともわかった。僕は「外道の果てを見た」と言ってますが、そこまで行ってようやく自分のバカさ加減に気づきましたね。

田原総一朗
1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所入社。東京12チャンネル(現テレビ東京)を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。若手起業家との対談を収録した『起業のリアル』(小社刊)ほか、『日本の戦争』など著書多数。
(村上 敬=構成 宇佐美雅浩=撮影)
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