調べると、ソフト子会社の養成部門で、システムエンジニアの研修を1年受けた新人が2人いた。その2人を借り受け、最大顧客だった生保と損害保険会社が担当の営業マンと、一緒に顧客回りをさせる。営業とは違う視線でよく話を聞かせ、課題解決への技術的なポイントをみつけさせ、提案に結びつける。提案には自分も加わって、他社との差別化を考えた。

その後、いくつかの事業部からもシステムエンジニアを借り、キヤノンの開発担当者にもきてもらい、数十人規模となる。90年代後半には、銀行向けのチームもつくった。ただ、メンバーの多くは元の部署の所属のままだった。

そこで、本格的な組織づくりを目指し、ソリューションスペシャリスト(SS)制度を新設する。顧客に直接販売する中央販売事業部で、金融営業本部長になった2002年、40代最後の年だ。制度化は士気を高めたが、横断的な組織は例がないだけに、「何だ、あの訳のわからない組織は」との批判もあった。すぐには実績が出ないので、社内のあちこちで小突かれもした。だが、諦めない。

SSは61人で始め、人事異動や社内公募で、徐々に増やす。一方で、単純に機器を数で売り込む「箱売り」の時代が終わり、システムの提案やサービス内容で取引が決まる時代に入っていく。SSは、次第に成果を上げていく。

「止於至善」(至善に止まる)――何事も最もよいところを最終目標に定め、そこから動かぬように努力せよとの意味で、中国の古典『大学』にある言葉だ。その後に「知止而后有定」(止まることを知りて而る后に定まること有り)とあり、最終目標が決まれば、次には採るべき方針も定まる、と説く。お客側に立って課題を解決することを最終目的に定め、そのためによく話を聞いて提案させていく坂田流は、この教えと重なる。

チーム創設の端緒は、30代前半の課長補佐時代に、コンピュータメーカーの営業マンの仕事ぶりを間近でみて、生まれた。彼らは「箱売り」ではなく、お客のニーズをつかみ、いろいろな提案をした。すると、自分たちとは違い、丁重に奥の部屋へ通され、話し込んでいた。衝撃的だった。「何ができるようになれば、ああなるのか」。観察を続けると、お客の側に立った提案力だ、と気づく。