「不作為の罪」問い課題解決を進言

いまでも、生々しく覚えている場面がある。2002年暮れ、経営会議が終わると、社長が「みんな残れ。いまから小泉が説明するので、よく聞け」と切り出した。間を置かず、1年以上前から社長と差しで話を重ね、つい数日前に結論を出した経営改革の姿を、役員たちに披露する。経営企画部長で、45歳のときだ。

日本たばこ産業社長 小泉光臣氏

会社は何をすべきかを説き、改革推進本部を立ち上げる話になったところで、社長が「そこまででいい」と止めた。「以上、小泉が話した通りだ」と言い切り、自らが本部長に就くと宣言した。原案には、本部長に副社長の名があった。社長の覚悟のほどを痛感し、身を引き締めた瞬間、「本部の事務局長は小泉、メンバーの人選は小泉に一任する」との声が響く。