別部隊のトラブル、大阪へ行き対応
1994年、東京本社で親会社キヤノンの製品を金融機関に直売する部隊の副部長だったときだ。41歳。生命保険と損害保険の会社を受け持つ面々を、率いていた。前年、大阪の部隊が、大手生保に全国で使うインクジェットプリンター5000台を納める商談をまとめた。だが、一部を納入し、試験的に動かす作業でトラブルが起きている、との話が届く。
例えば、保険を提案するため、様式を印刷した用紙に、お客の名前や保険料などを印字したとき。営業職員がもう乾いたと思い、確認してもらう個所にマーカーで線を引くと、印字した字がにじむように変形した。大阪でシステム構築を受け持つ電機メーカーと解決を図ったが、うまくいかない。
年が明け、阪神・淡路大震災で一時中断したが、対応が続く。ほかにも不具合がみつかり、ついに電機メーカーの課長が「大阪では埒があかない」と東京へきて、一緒に対策会議を開いた。課長は、顧客の代理人のように、がんがんとまくし立てる。聞いていて、切迫度を感じた。もし、システム全体を稼働させてからトラブルが起きたら、生保が受ける打撃は大きい。当局への対応も、大変だ。
すぐに、決断した。本社の生保営業の責任者として、大阪へいって解決に当たる。東京の上司や大阪の部長以上が出向いても、たぶん、話が通じない。入社直後から金融機関向け営業ひと筋できて、生保の業務体系を、よく知っていた。自分がいくしかない。「大阪のことだ」と、知らぬ顔をするわけにはいかない。