平時に機能した自民党との蜜月関係
新聞記者として駆け出しの1980年代後半、親しくしていた中堅証券の社長を訪ねた時のことである。帰り際にその足で大蔵省に行く旨を伝えると、社長はアドバイスしてくれた。「相手の言うことをいちいち相槌を打ちながら聞くんだ。話が終わった時に『目からうろこが落ちました』とでも言えば、『また来なさい』ということになるよ」と。情報を引き出したいなら、彼らの自尊心をくすぐることが秘訣ということだ。
この当時の大蔵省は「官庁の中の官庁」というイメージが強く、霞が関には厳然たるヒエラルキーが存在していた。しかし、30年近くが経過したいまはどうか。社会保障費が膨れ上がる一方で、頼みの税収は低迷したまま。経済成長を最優先する安倍政権のスタンスから歳出削減は見送られ、財政再建への道筋は全く見えない状況が続いている。
この閉塞状況の背景として、国内政治における大蔵省(現財務省)の立ち位置が変化したという事実を、本書の著者は指摘する。
「財布を握る者が強い」という単純な話ではない。官庁街・霞が関の中でも別格視されてきた大蔵省のパワーは、国の予算を分配する調整能力を源泉としてきた。長きに渡った55年体制下、自民党と大蔵省の蜜月関係が続いた。各官庁の背後に控える族議員、党内各部会の間で熾烈な予算争奪戦が演じられ、大蔵省は利害関係を調整する実質的な政治プレーヤーとして役割を負っていたのである。
パイが拡大し続ける平時の経済情勢下では、「縦割り・積み上げ・全会一致」という手法が機能した。自民党政権が未来永劫続くという“錯覚”のもと、大蔵省と自民党の関係が続いたのである。