飛躍の契機になった徹底した権限委譲
――しかし、ドン・キホーテを軌道に乗せるまでには相当苦労した。
【安田】ドンキ1号店開業当初、私は「泥棒市場」の成功体験をもとに、採用した小売り未経験者の従業員たちに圧縮陳列を伝授し、「見にくく取りにくく買いにくい」店をつくれと命じた。
しかし従業員からすれば、そんな見たこともない奇天烈な店などできようはずがない。圧縮陳列も私の「個人技」にすぎず、教えても教えても、単なる雑多陳列にしかならない。
私は頭を抱え込んだ。個人商店の「泥棒市場」とは違い、ドン・キホーテは企業化が前提だ。さらに、当時の私は卸売業の会社を経営していたから掛け持ちで忙しい。従業員たちが圧縮陳列の手法をマスターしなければ、独自の業態創造は夢幻とついえてしまう。イライラする私と従業員たちとの溝は、深まるばかりだった。
――当時、今も社内で語り継がれている「1万円消失事件」が起こった。
【安田】「これは売れる」と自信を持って仕入れた商品が、なかなか店に並ばず倉庫に眠ったままということが再三あった。従業員がどこにでもある売りやすい定番商品を優先的に品出しして、私が得意としていた非定番のスポット仕入れ商品を敬遠していたからだ。
ある日、そうした商品がまた倉庫の片隅に、隠すように放置されているのを発見したとき、私の堪忍袋の緒が切れてしまった。担当の従業員を集めて、彼らの目の前で財布から1万円札を取り出し、ライターで火をつけた。
従業員たちは「なにバカなことをするんですか、もったいない。やめてください!」と言って、慌てふためいた。
これは思わず出た行動で、考えてやったわけじゃない。自分の金でもお札を燃やすのは違法らしいが、もちろん当時はそんな知識はない。
「どうだ、俺のこの行為はバカげているだろう。でもおまえたちがやっていることはもっと愚かだ。俺の損は1万円だが、陳列すれば何十万円もの儲けになる商品を、みすみす倉庫に放っておくのはどういう了見か」と言って叱ったのだ。
1949年、岐阜県大垣市生まれ。73年慶應義塾大学卒業後、不動産会社、フリーターなどを経て、78年ディスカウントショップ「泥棒市場」を創業。80年ジャスト(現ドン・キホーテ)を設立。泥棒市場は繁盛店となるも5年で売却。83年リーダーを設立し卸売業に参入。同社を関東有数のディスカウント問屋に成長させた。89年東京・府中市にドン・キホーテ1号店を開業。98年東証2部上場、2000年東証1部に変更。05年代表取締役会長兼CEO就任。15年CEOを勇退し現職。著書に『情熱商人』『ドン・キホーテ闘魂経営』(ともに月泉博氏との共著)ほか。