5年間、収入ゼロで、借金1000万円

半年ほど後に、ある大学でようやく契約成立となった。就職部は、柘植氏に学生の前で話をしてほしい、と依頼した。それをきっかけに、自らの就職活動の失敗体験をテーマにセミナーの講師をするようになる。

「大学生を相手に、専門学校卒で、しかも、内定ゼロの男性が生々しく語る」ことが口コミで伝わった。関西を中心に50大学ほどから依頼を受け、年間で100回近くの就職セミナーで話すようになった。22歳のときだった。

柘植氏は就職セミナーの実績を持ち、企業への攻勢をかける。

「大学の就職セミナーでの講師料は当時、90分で3万~5万円。ありがたいことなのですが、これでは会社の形態にすることはできないと思いました。利幅も少ないしね。それで、企業の人事部を訪ね、新入社員研修や、20代の若手研修の講師として使ってください、とお願いをしたんです」

独立し、5年目の25歳になっていた。5年間、給料はない。大学などから就職セミナーの講師料は入ってくるが、会社の運転資金に瞬く間に消える。借金は、1000万円に膨れ上がっていた。背水の陣の思いで500社ほどにとびこみ営業や、テレアポセールスをする。次々と断られたが、進み続けた。この頃は、過激だったと振り返る。

「バカにした態度をされることがありましたね。そんなときは、言いかえしました。それなら結構です! って。会社員とは抱え込むものが違いますから。向こうは安全地帯にいるのでしょうけれど、こっちは闇の中にいます。前に邪魔がいたら、切るしか、ないです。次々とオファーをしてくれる会社もありました。この頃、学歴を考える余裕はありませんでしたね」

疲れがたまり、心臓が苦しくなり、救急車で病院にかつぎこまれたり、内容証明を送られることもあった。それでも、営業で回り続けた。

「20~25歳の頃は猛烈な営業をしていて、忙しかったんです。1年365日、1日10数時間、仕事。この数年間で味わった苦しさや辛さに比べたら、今、クライアントから厳しく言われることなんて、たかがしれていますよ」