世界の激しい変化の中で、使命感を持って決断するリーダーを、次世代にも育てなければならない。

若者がガツガツしなくなったのは、社会が豊かで成熟したからだという人もいるが、私は、それだけではないと思う。むしろ、競争をよくないものとした「戦後の教育」こそが諸悪の根源だといっていい。運動会で全員が手をつないでゴールするようなことをやっていたら、「負けてたまるか」「なんとしても勝ってみせる」という気概を持った人間が育つはずがないのである。

それに、競争を否定する生ぬるい社会では、意欲だけでなく能力も劣化せざるをえない。その兆候はすでにいろいろなところに表れている。

たとえばクルマの運転をみても、信号がない場所で、グズグズしてなかなかクルマの流れに合流できないドライバーが多くなっている。そういう社会生活を送るうえでの基本的な行動が、明らかに鈍くなってきているのだ。

会社でも同じようなことを感じる。かつての日本の組織は、上の指示が多少まずくても、現場の業務遂行能力が高かったため上司の判断を補うことができていた。それが、最近は怪しくなってきている。私たちの時代は、ひとたび課題や目標が決まれば、それがどんなに厳しいものでも、死力を尽くしてやり抜き、達成しようとするのが当然だった。いまはその部分が非常に甘くなってきている。できない理由を述べてそのせいにする。しかも、いろいろ話をきいてみると、どの会社もみなそうらしいのだ。

これは、人間として、ビジネスパーソンとしての基盤となる力が弱くなっているからにほかならない。困難な業務に立ち向かい結果を出すには、たくましい心と体が不可欠なのに、それが十分には養われていないのだ。

いまの若者は学生時代、受験勉強ばかりで本をあまり読まない。社会人になっても読むのはノウハウの書かれたようなものばかり。私たちが若いころは、歴史書や哲学書をむさぼるように読み、それによって頭も心も成長していった。また、子供のころから競って体力の養成を図ってきた人も多い。そういう経験が足りないから、いざというときに底力を発揮し、がんばり抜くことができないのだと思う。

基盤となる力は、本当は学生時代までに身につけておくべきなのだが、それをやらずに社会人になったからといって、手遅れということでもない。20代、30代なら遅れを取り戻すことはまだまだ可能だ。まずは半年間、自分の生活のことは忘れ、会社のためだけに120%の力で働いてみる。そうすれば、本気になれば、どこまでできるかや、会社に対しどれくらい貢献できるかが実感としてわかるようになるだろう。