王貞治、荒木大輔……なぜ、早実で1年が活躍するか

加藤も1年の春から公式戦に出場し、2試合目から4番を打った。2年前にも同じような状況があったのだ。早実では素質のある選手が下級生からゲームに出ることは少なくない。かつての王貞治、荒木大輔しかり。

「力が同じだったら下級生を使う。次の年にも経験が残ってチームが繋がっていく」(ある早実OB)

そんな伝統が受け継がれているのかもしれない。早稲田大学の校歌ではないが、早実野球部の監督には代々「進取の精神」があるのだろうか。

荒木大輔も雑誌(週刊ベースボール9月1日号増刊)にメッセージを寄せている。

「伝統的に学年の分け隔てがない。責任は上級生が背負うから1年生は甘えていい立ち位置にいる。清宮は私や王さんと同じ、1年から甲子園出場の機会を得た、自分のプレーに集中すればいい」

王は1956年の1年夏、荒木が1年生でデビューしたのは1980年。その時代から1年生がレギュラーとしてゲームに出て、力を発揮できる土壌が早実には作られていた。

清宮への対応は学校、連盟としても難しい問題だった。地方大会中、監督、加藤主将と清宮の3人のインタビューを特別に部屋をセッティングして行った。大阪の本大会中も混乱が予想されるため、宿泊ホテルを警備しやすいホテルに変更する、など異例づくめだ。

特別扱いとなれば多感な年ごろでもある。ナインとの距離も出来て、組織はギクシャクしてもおかしくない。そうならための事前の組織づくり、相互理解が重要だろう。

清宮自身、自分の置かれた立場をよく理解している。チーム内でチヤホヤされるヒーローなら敵も生まれるものだ。しかし、早実にそんな空気は感じられない。

「1年なのに3番を打たせてもらっている。出られない3年、2年生のために打ちたい。物おじせず先輩を引っ張っていきたい」(清宮)

受け答えは加藤に比べたら、敬語が抜けたり生意気に聞こえたりすることもある。1年生らしさがあまりなく、ややふてぶてしくて生意気な印象を受ける、といった声も確かにある。

でも、練習や試合の都度、行われる会見では嫌な顔ひとつせず対応する。これは、1年生には案外難しいことだ。受け答えは、基本、はにかんだ笑顔。囲み取材はいつも彼の漂わす愛嬌によって、なごやかな感じになる。まだ上手には言えないものの、監督や先輩に対する感謝やリスペクトの気持ちも感じられる。