「スポ育」で身につく多様性

【窪田】目が見えないという障がいをもった方、そのほかの障がいをもった方たちが社会にはたくさんいらっしゃいます。健常者たちが社会のそういった多様性を理解して、個性として受け入れて、お互いを補完する生き方を原体験として小さい時から学べるというのは、次世代を担う子どもたちに新しい社会観を育ませるような環境にもなるわけですよね。

【松崎】そうですね。「日本社会」って、多様な状態にある人と出会うとか、個性を尊重せざるを得ない環境ってあんまりないんですよね。

【窪田】むしろ均質ですからね。だからこそ日本人にとって必要な体験というべきかもしれません。

【松崎】社会に出れば外国人と働くこともありますし、例えば、事務所のある新宿区でいうと、学校によっては、50%の子どもが外国のバックグラウンドを持っているというようなことも珍しくありません。そういう先進地域では、多様性をどのように受け入れていくかという問題に早くから直面するわけです。

多様な環境が広がるなかで、日本人は多様性に対応するスキルが欠けていると感じずにはいられません。今後、スキルがないがために異を受け入れることの難しさを克服しなければならない機会は増えてくるでしょうから、こういったスポーツを通じた多様性に対する適用力を身につけるというプログラムはパワフルな道具になるんじゃないかと思っています。

【窪田】そうですよね。自分が感じた気持ちや見えないことへの不安だとか、普段自分の心に抱かないようなものすごく複雑な感情を持つ機会があるというのは、より鮮明に記憶に残るものです。文章を読んで頭で理解するのとは違って、体を動かして経験するというのは強い印象が残りますし、人生を変えるような影響力を持つ可能性があるという意味でも格段に違いますからね。

【松崎】多様性の理解というと、倫理的には社会の常として正解があると思うんです。子どもたちは障がい者にこういうことを言ってはいけないというのをなんとなく学んでいます。ところが倫理上正しいこと、あるいは、こうすべきだということを体で実際に表現できるかに差が生まれている。平たく言えばお年寄りに席を譲れる譲れないの議論があるように、実際にアクションを起こせるかというところにギャップがありますよね。そのギャップを越えていくのに、体験学習というのはすごくいいツールになるんです。

【窪田】やってみるまではなんとなく不安でなかなか一歩が踏み出せないことが多いですからね。知らず知らずに出来上がってしまったバリアというか自分の殻が取り払われていくというのは自分の限界を広げることに役立つプログラムですよね。