日本史上最大級のイノベーター、越後屋

ビジネスモデル論がいま注目を集めています。1990年代、起業家たちは単なる「事業概要」を「ビジネスモデル」と言い換えて投資家から出資を引き出そうとしました。2001年のネットバブル崩壊とともに、ビジネスモデルという言葉は消えてなくなると誰もが思いました。ところが近年、イノベーション実現の鍵として再評価されています。

HBSのクレイトン・クリステンセンは、「ビジネスモデルの変革こそがイノベーションの素」だと言いました。ビジネスモデルとは、誰に、どのような価値を、どう提供して、どう利益を上げるのかという4つの要素の組み合わせです。つまり、画期的な技術などなくても、それらの組み合わせを変えること自体がイノベーションになるという考え方です。

ここから歴史を振り返って、ビジネスモデルのエポックメーキングとなった3つを紹介しましょう。

歴史クイズ(正解は本文最後に)

1673年に呉服店の越後屋を創業した三井高利は、日本史上最大級の持続的ビジネスモデルを生み出したイノベーターです。当時、武家・商家の支払いは年に1~2度のツケが一般的でした。また取引は相対で交渉することが前提なので、掛け値(値引き前提の高めの価格)で売られていました。

ところが、後発の越後屋はこれを改めて、定価販売の「現金掛け値なし」を打ち出しました。現金掛け値なしにすれば、ツケ払いの武家や相対取引していたお得意さんは買いにくくなり、逆に一見の客が来やすくなります。つまり、越後屋は伝統的な客(富裕層)を捨て、新しい顧客を取り込むことで大成功したのです。

また、客先に出向いて売るのではなく、店構えを大きくして店頭販売に切り替えました。反物には複数の種類がありますが、訪問販売では一人が全種類の反物に熟達する必要があります。しかし店頭販売なら、反物種ごとに店員が分業して顧客対応すればいい。そのほうが専門性は高く、人材育成も簡単です。