高評価は「子どもの作品」か、バレバレの「親の力作」か?
親として夏休みの宿題を見た時、多分一番悩むのが、「教えれば教えるほど親の作品になってしまう」という点ではないでしょうか。例えば読書感想文を「自由に書いていいよ」といえば、高確率でただの「紹介文」かただの「感想文」になります。もしくは書けません。実はこの点については、教師も日常的に同じことで悩みます。
どちらかに割り切ります。
●「子どもの自主性を尊重する」ということで、誤字だけ見てあげて提出する(あくまで誤字「だけ」)。
または、
●「優秀作品」目指して、添削しまくる(この場合、子どもが作文嫌いになる可能性も覚悟すべし)。
私は、前者をおすすめします。
例えば、読書感想文一発に力を注ぐより、1年間の様々な場面を通して書くいろいろな作文の方がより価値が高いと思われます。その中で、場合によっては何かのコンクールに出せるものが生まれるかもしれません。日常的に書いていることが大切です。
私自身が担任として子どもの作文指導をする際には、毎日決まった時間で短作文を続けています。もし、ご家庭でそのような活動を続けているのであれば、読書感想文も怖くないとは思いますが、そうでないなら、あまり過剰な期待をするのはよして、とりあえずできた作品の提出でよろしいかと思います。
そしてこれも重要な点ですが、担任の教師は自力による作品かそうでないかは大体わかっています。
日常的にその子どもの作品を見ているからです。それでも、他と比較して立派な作品であれば、コンクールに出品します。「優秀な作品を出品する」というのが大原則だからです。そこに私見や私情をはさみません。ただ、正直に言えば、内心変だなとは思っています。そのことも踏まえた上で、どこまで親が関わるべきか決めましょう。