心のよりどころとして集う場所

ところで、いまなぜ横丁(路地)なのか。著者は「サードプレイス」という都市社会学の用語をヒントに読み解く。これは米国の社会学者が提唱したもので、第一の生活場所である家庭、第二の生活場所である職場、そして「心のよりどころとして集う場所」が第三の生活場所、サードプレイスである。

フランスのカフェ、英国のパブなどが代表例だが、日本では横丁や路地にある小さな飲み屋がそれに相当するのではないかと著者は考察する。大きなチェーン居酒屋で隣同士の客が意気投合するなんてことはまずないが、横丁の小さな酒場では、空間が狭いため、おのずと隣の人との距離が近くなり、ちょっとしたきっかけで会話が弾むというのはよく見る光景だ。つまり、そこは単に食欲を満たすだけの場ではなく、「サードプレイスとして機能するようになる」というわけだ。

著者は、自身がヤミ市起源の横丁にひかれる理由の1つとして、人間が本来持つ動物としての野性的な「生」への執着が自然な形で現れた場所、であることをあげている。筆者もこれになるほどと共感した。ヤミ市はもともと戦後の統制経済下、政府の主食配給制度が機能しない中で、庶民が生きるために自然発生的に生まれた非合法市場だ。そこにはだから人々の日常の生のエネルギーがみなぎっていた。

筆者は昔よくアジアを旅したが、どの街でも必ず足を運ぶのが市場だった。肉や野菜や果物や雑貨や衣類や食堂やらがごった煮状態で詰め込まれ、地元の普通の人たちの生のエネルギーに満ち、歩くだけでワクワクする、そんな魅惑的な場所が市場だ。それとどこか似たような空気、ニオイがヤミ市起源の横丁には感じられる。

全国の多くの商店街で閑古鳥が鳴く中、ハモニカ横丁が盛況なのはけっこうな話である。だが、ことはそう単純ではないようだ。ハモニカ横丁の魅力は、新旧のハイブリッドが生み出す独特の世界にある。ところが、シャレた店が増える半面、老舗が姿を消し、かつての薄暗く怪しげで雑多な雰囲気が失われ、クリーンで均質化された空間になりつつある。つまり魅力が薄れかけているのだ。そうした指摘は少なくなく、著者も危惧を示している。はたしてハモニカ横丁はどこへ向かうのだろう。なんて考えていたら、久しぶりに飲みに行きたくなった。天気もいいことだし、さっそく出かけよう。

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