仙人は、なぜ老人なのか
すでに憲法改正の是非を問う国民投票法は改正されており、投票参加年齢は18歳に引き下げられている。日本の場合は選挙権が得られる年齢を18歳に引き下げることによって、若い有権者が約240万人増えることになる。安倍政権が目指す憲法改正が間近に迫る中で、自分自身で政治について判断できる若者を増やすことが責務になった。非常に難しいことだろうが18歳への選挙教育は待ったなしなのだ。
ちなみに5月の大阪都構想に関する住民投票の有権者は20歳以上によって行われたが、否決という結果に終わり、その後「シルバー・デモクラシー」という言葉が注目されている。若い世代より高齢者向けの政策が優先されるという意味だ。
出口調査などから20~60代まで賛成多数だったにもかかわらず、70代の反対により否決されたという。人口統計を見ると若者と高齢者にそれほどの差はないから、若者の投票率が非常に低かった影響が否決につながった。私はもともと、都構想は百害あって一利なしと考えていたので、高齢者の判断はさすがだと思うのだが、「若者の投票率が上がれば結果は変わっていた」という大学教授を見ると、嘆く前に学生の教育を徹底しておけよと感じるのだ。
一般に、年寄りの投票率が高くなると福祉予算が増え、若者にしわ寄せがいくと考えられている。しかし、福祉予算が増えたとしても、若者も最終的には年齢を重ねるのであれば、恩恵にあずかれる計算になる。逆に現役世代に予算を配分しても老後にまともな福祉がないとなれば、萎縮して経済活動は後退する。老人が自分たちのことしか考えず、若者は他人のために考えているという不思議な思い込みはどこで生まれたのだろう。
仙人のような知恵者が東洋・西洋問わず物語に登場するのは、人生をこれから終えようとする人間のほうが、豊かな知見を発揮できると昔の人は考えたからだろう。
確かにダメな老害政治家も、自分のことしか考えない利己的な老人も多い。しかし、読者も、自分の18歳のときを振り返ってみれば「あの頃は頭の配線もろくにつながっていなかったなぁ」と思い当たることもあるのではないか。
老人に間違いがないとは言わないけれど、年齢を重ねるにつれ、自分の限界や物の道理がわかるようになるのは自明のことだ。未熟な高校生の参加で、日本の民主主義が成熟するとは思えない。