娘を見つめる主治医の目に絶望
2012年のクリスマス、私たち家族は病院にいました。娘は学校があったのですが、その日は2学期の終業式で早く帰宅するため、1人で留守番させておくわけにはいかず、学校を休ませて病院に連れてきたのです。
ショックのあまり、私たち夫婦は体調を崩していました。妻のがんの転移がわかってから、私には妻がこの世の人には思えませんでした。ふと目を離している間に、消えてなくなってしまうのではないか、と思えたほどです。妻のいった「いままでありがとう」の言葉が引き金となったのか、近い将来、妻は死ぬ、という考えに支配されていました。
診察室の前のイスに座って、妻が呼ばれるまでの時間が、とても長く感じられました。緊張のためか、ずっとおなかが痛かったのですが、妻の苦しみを思えば、まったく苦になりませんでした。妙な心地よさを覚えたほどです。ところが、しばらくしてトイレに行きたくなったのです。もうすぐ妻の診察が始まるのに、とイライラしましたが、どうしようもありません。私はトイレに向かいました。
トイレから戻ってくると、妻の姿がありませんでした。「ママは?」と娘に聞くと、「診察室」という答えが返ってきたので、急いで診察室のドアをノックすると、混乱していたためか、返事も待たずにドアを開けてしまいました。
主治医に妻の肝臓の画像を見せてもらい、めまいがしました。肝臓の3分の1ががんに侵されているとは聞いていましたが、画像を見ると、肝臓のがんが絶望的なまでにはっきりとわかり、助かる見込みはないように思えたのです。主治医にいろいろと聞かなければならなかったのですが、何も聞くことができないほど、叩きのめされました。
診察が終わり、外に出ると娘が待っていました。何も知らない娘は、これで帰れると思ったためか、うれしそうな顔をしていました。妻が娘を連れてきたことを主治医に話していたからでしょうか。主治医が診察室から出てきたのです。主治医は娘の前でしゃがむと「何歳?」とやさしく話しかけました。「7歳」と娘が答え、頷いていたのに、すぐにまた「何歳?」と娘に聞き、憐みを帯びた潤んだ目で、じっと娘を見つめていたのです。
主治医の目から、妻がもう長くないことを悟りました。