娘の2分の1成人式への出席
妻の病気のことを話すと、「友人の」親のがん闘病話を始める人は少なくありません。「自分の」ではなく「友人の」です。こちらの状況を理解しようとし、できる限りの同情してくれるのはありがたいのですが、その話が長いと、イライラしてしまうことがあります。
私に話してくれるがん闘病話の人たちは70歳前後です。皆、お金の心配はなく、子供も立派に成長し、孫がいる人ばかりです。私の妻はまだ40代前半、娘は小学生です。妻の場合、孫の顔を見るどころか、娘の成人した姿が見られないかもしれないのです。
最近、小学校で娘の2分の1成人式があったのですが、妻は「(娘の)20歳の姿は見られないかもしれないから、これが本当の成人式と思うことにする」といって出席しました。この年の担任の先生には妻の病気のことを話していたので、その計らいのためか、娘が式のはじめの言葉を述べることになっていたのを、妻は楽しみにしていたのです。
式の終わりのほうで「切手のない贈り物」が合唱されました。「<別れゆくあなたへ><遠い空から>という歌詞のところで、涙を堪えるのに苦労した」と妻は自宅に戻ってから、ぽつりと私に告げました。こういうとき、元気づけることをいってあげなければならないのですが、何もいえないことがほとんどです。その夜、妻は数日前に受けた抗がん剤治療の副作用のためか、式でいろんなことを考え過ぎて疲れたためか、体調を崩してしまいました。
常に「貧乏暇なし」状態の私は、日々仕事の合間に家事をしています。多忙期はうつ病になるのではないかと思うほど、疲れることがあります。それでも一番恐れていることは、仕事がない日です。毎日仕事をしていないと怖くなってしまうのです。これは、妻に治療費の心配をさせたくないからです。
近い将来、妻が亡くなるなんてことがあれば、仕事と家事を両立しながら、思春期の娘を育てていく自信はありません。だから、お金や子供の心配のない「他人の」親のがん闘病話を長々と聞かされると、苛立ってしまうのかもしれません。
70歳前後なら、がんの進行が遅い人もめずらしくはありません。がんとうまくつきあって行けば、70代後半から80歳くらいまで生きることができる人も少なくないのです。年を取ってからの闘病は体力的にも大変で、この点においては本当に気の毒に思いますが、妻と比べたら、寿命と思えるのではないでしょうか。私は心が狭く、屈折した性格なため、なんだかとてもうらやましく思えてしまうのです。
このようなことを書くと、不愉快な気持ちになったり、怒りを覚えたりする人は、たくさんいるでしょう。大変申し訳ないとは思うのですが、それでも私と同じような状況の人なら、この気持ちが少しはわかってくれるのではないか、と甘えたことを思ってしまいます。実際、私も同年代の人のがん闘病話を聞くと、その気持ちがものすごくわかるような気がします。しかし、私よりずっと若い人の場合は、何もいえなくなってしまいます。