自発的な「厨房革命」はどう促されたか

金子和斗志(かねこ・かつし)●アイ・ケイ・ケイ社長。1952年、佐賀県伊万里市生まれ。佐賀県立伊万里高校を卒業後、大手スーパーなどを経て家業のホテル業を継ぐ。1995年にアイケイケイを設立して現職。2010年大証JASDAQ市場に上場。12年、東証二部に鞍替えし、13年に東証一部指定。著書として『サービスの精神はありがとうから生まれる』がある。  アイ・ケイ・ケイ>> https://www.ikk-grp.jp/

実はこうした相互対話の営みが定着するまでには大きな抵抗があったという。特に職人気質の強い料理人たちは、人前で話したり、素直に自己開示したりするのが苦手な場合が多い。旗振り役の松本氏から勉強会参加を促された料理人の中には、公然と拒否する人も少なくなかった。そんなことまで求められるなら会社を辞める、という人も出てきた。顧客の要望に応えろといわれても、自分が必ずしもうまいと思っていない料理をつくって客に出すことに耐えられない、という者もいた。多くのシェフがいなくなった。

それでも松本氏は、この取り組みをやめようとしなかった。金子社長の理念へのこだわりを誰よりも松本氏が理解していたからだ。料理の腕で勝負している職人にとって、勉強会で自分の意見を話すのがどれほど苦痛なことかは、自身も料理人である松本氏は痛いほどわかっていた。それでも厨房を特別扱いするのではなく、むしろ厨房の人間が他のスタッフと連携しお客様のために動けるようになることが越えるべきハードルと認識し、厨房の職人全員に参加を促した。

後述する理念研修も導入しながら、対話の機会を設け、理念の共有浸透の働きかけを繰り返すうちに、厨房の料理人たちの態度も変化していった。人前で話したことが周囲に認められるという経験を重ねる内に、自己開示への抵抗感が薄まり、勉強会に喜んで参加する人も出てきた。普段仕事で顧客の無理難題をもってくることから、とある営業スタッフに嫌悪感を覚えていたが、実際話してみると心根の悪い人ではないことがわかり、関係改善が図れた、という例もあった。会社を去った人も多かった中、残った料理人たちは、理念に共鳴し顧客のために一肌ぬぐことが当たり前になり、前述したように顧客のリクエストに応じ地元の郷土料理や家庭独自の味をメニューに取り入れることに柔軟に対応できるようになっていった。

それだけに留まらず、和食やフレンチといったカテゴリーごとの専門分業の壁を壊し、必要に応じ相互に助け合って料理を準備したり、料理の下ごしらえにパートを活用したりといったオペレーション改革を成し遂げ、コストの大幅な削減にも成功した。徒弟的な修業を経て認めた弟子にしか調理場に入れないような閉鎖的慣行があたりまえの料理人の世界で、これを成し得たのは“厨房革命”といっても過言ではない。さらにホテル・ウェディング業界初のISO22000(食品安全マネジメントシステムの国際規格)の取得は、「多額の審査料やコンサルティング料をかけてまで取得する意味があるのか」と懐疑的だった社長を押し切って厨房部門がボトムアップで主体的に推進した快挙だった。

一般には頑固で変化を好まない傾向の強い料理人が、同社においては、経営的な要請を理解し厨房革命を自ら推し進められている背景には、勉強会等での対話の積み重ねによって培われた相互信頼の土壌があることは見逃せない。