2015年4月、ヤマトホールディングス(以下HD)の木川眞氏は社長を退き、会長に就任。後任には、前ヤマト運輸社長の山内雅喜氏がHD社長に昇格した。

木川氏は生え抜きではなく銀行出身のトップだ。05年に、当時の有富慶二会長から19年の創業100周年に向けた成長戦略を一緒に描こうと声をかけられ、その気持ちに賛同して05年にヤマトグループに来た。それ以来、小倉昌男氏のDNAが色濃く残る同社の理念をいかに受け継いで経営の舵取りをしてきたのか、木川氏に話を聞いた。

「ヤマト運輸はここまでしてくれるのか」

ヤマトホールディングス会長 木川 眞氏

【竹内】理念経営といえば、まずヤマトグループの名前があがるほど、御社は理念の実践度が高いと見られていますが、木川会長はどのように評価されていますか。

【木川】私も銀行時代からいろいろな会社を見てきましたが、確かに弊社は違うと思います。それは理念が空疎な言葉の羅列になっていない点です。そうなっていない理由は、理念を受け継いだ歴代の経営トップが、その意味するところを発信し、自ら体現してきたことにあります。

たとえば、創業者が作った社訓の中に「ヤマトは我なり」という表現があります。2代目の小倉昌男さんはこれを「全員経営」と言い換えた。我々のサービスの評価は宅急便の荷物をお客様にお届けする瞬間に決まるので「外へ出たら一人ひとりがヤマトとして見られる」という自覚が大事という意味です。

また「運送行為は委託者の意思の延長と知るべし」という表現は、「お客様に対してサービスを約束通りきちんとやることを優先すればよい」という意味合いを強調し、小倉さんは「サービスが先、利益は後」と言った。相手や状況に合わせ、理念の意味を自分の言葉で発信し続けた小倉さんは、今でも弊社の中で、とても大きな存在です。

【竹内】体現したという例はいかがでしょう。

【木川】代表例は、スキー宅急便のエピソードです。手ぶら文化をつくった最初の商品であるスキー宅急便のサービスは1983年にスタートしました。翌年、大雪で道路が寸断され預かったスキー用品を予定通り届けられないというトラブルに直面した際、小倉さんは、スキー用品をレンタルまたは購入したお客様の費用を全額負担するよう現場に指示を出したのです。

天災なのでサービス約款上は免責されることだったのですが、始めたばかりのサービスに対し半信半疑のお客様が「やっぱり使えない」と思うか「ヤマト運輸はここまでしてくれるのか」と思うかの分かれ目でもあったのです。目先の利益ではなく、中長期的にお客様の視点に立った小倉さんの決断は、「サービスが先、利益を後」という理念を行動で示したものとして、社員の語り草になっていました。