データベースが一人歩きする
フェイスブックやグーグルでは「プライバシー・ポリシー」を変更して、より多角的に個人情報を利用しようとしているし、オンラインばかりでなく、現実の店舗での買い物履歴などもポイントカードをつくる際にデータベース化され、オンラインとドッキングされて使われている。
ベネッセの顧客情報漏洩事件に見られるように、これらのデータは犯罪やあるいは過失によって流出する恐れがある。個人情報を匿名化する手続きに不備があると、プライバシー上の問題が生じる。
私たちはこういう時代に生きているということである。個人情報をどんどん提供すれば、より正確な全体像が明らかになるからそれでいいと考える人もいるだろうが、データベースの性をわきまえ必要最小限の情報しか出さない抑制的な生き方も必要だろう。
古代ギリシャの盗賊プロクルステスは、捕らえてきた旅人を自分のベッドに無理矢理に寝かせ、身長が短いと引き伸ばし、あるいは叩き伸ばしてベッドの大きさにあわせ、逆に長くてベッドからはみ出ると、手足を切り落としたと言われている。現代のデータベースは、いったん作られた様式にあわせて、私たちを作り直し、実在の人間よりもリアリティあるものとして流通させる。データベースにあてはまらない細部は捨象されてしまう。
ふつう、情報は時間の経過とともに価値が減っていくけれど(もちろん逆の場合もある)、データベースは、それが蓄積され大規模化すればするほど、言い換えれば、時間がたつにつれて価値を増大する側面をもっている。
しかもそれらのデータは、時の経過を反映しない。かつてイギリスの文豪、バーナード・ショーは「私を成長に応じてきちんと測ってくれたのは仕立て屋だけだった」と述べた(中国には「男子三日見ざれば括目して俟つべし」という呂蒙の故事もある)。人間は成長する。しかし、そのようにはデータベースは成長しない。ただ規模だけを拡大する。こうして不完全なデータベースが独り歩きしてしまう。