今や全入時代に突入して、AO(アドミッションズ・オフィス)入試など、学生がろくに受験勉強をしないまま大学に入ってくるようになった。高校の物理や数学をまともに習得しないまま入学してくる学生が多いから、理工学部の授業で高校の物理や数学はおろか、中学レベルの勉強をもう一度やり直している大学もあるという。貴重な4年間が中学・高校の再教育の場と化した大学から、どれだけの人材が輩出されるのだろうか。

金大中以降、韓国ではTOEICの足きりが一流大学では800点になり、サムスンでは920点取らないと課長になれない。そういう議論をすると「英語ばかりが能力じゃない」という反論が返ってくるが、中学からやり直さなければならない人材が大学から出てくる時代に、語学力以外のいかなるスキルや知識が武器になるのか。

日本の国家崩壊はすなわち「人材の崩壊」である。機会均等はいい。しかし、あまりにも全員が同じ発想、同じ情報でモノを考えるから、どんぐりの背比べで傑出した人材が出てこない。日本を混迷から救い出そうとすれば傑出したリーダーが必要なのだが、今の日本の教育では傑出したリーダーが出てこない仕組みになっているのだ。大量生産・品質重視の時代の人材育成方法を抜本的に変えなければ、リーダーは生まれてこない。高校の授業料を無償化すれば、さらにやる気のない人々が税金で大量生産されるだけだ。

今の日本が一番やってはいけないのは、このまま低迷を許容することだ。しかし政治の世界も産業界も学界もリーダーシップの取れる人材が圧倒的に不足している。かつてはリーダー不在でも「貿易立国」とか「高度成長」といった理念の下で官僚システムが機能した。ところが鳩山政権の肝煎りで内閣官房に内閣人事局が設立されることになり、局長以上の役人の人事権を政治が握ることになった。人事制度が壊れれば、国家運営の屋台骨だった役人の粘りや勤勉性といった美徳も消え失せる。日本はさぞかし食べやすい“骨なし国家”になることだろう。

(小川 剛=構成)