日本の学会に見る典型的な「タテ社会現象」

外国人から「日本人とは何かを理解できる本を推薦してほしい」と頼まれたら、私はいつも、中根千枝の『タテ社会の人間関係』を挙げる。初版は1967年。中根は「(1)日本人は閉鎖的な集団をつくりやすいこと、(2)閉鎖集団に加わった年次によって序列がきまり、その序列によるタテ方向の人間関係が重視される日本社会」の特徴を鮮やかに切り出した。

その当時は、身近にタテ社会を実感できる実例に事欠かなかった。たとえば、年功序列、終身雇用、イエ制度は健在だった。現代日本では、それらは社会の水面下に隠れてしまい、日本社会のダブルスタンダード(二重規範)の一翼を担うようになった。それだけに、初版本が出版された60年代よりも、見えにくく、やっかいな問題になっている。

日本のビジネス界で、タテ社会的な要素が残っている事例を挙げてみよう。

筆者は、企業の管理職研修の講師を依頼されることが多い。その主要なテーマの一つが、「年上の部下をどうマネジメントをするか」である。「あの部下は、自分が新入社員だったとき、自分を鍛えてくれた先輩だ。上司としてどう声をかければよいだろう」と悩むマネジャーが多いからこそ、「年上の部下のマネジメント」は研修の定番メニューの一つとして、根強い人気がある。この現象一つとっても、日本は依然としてタテ社会なのである。

能力や論理的な正しさよりも、集団に加わっている時間的な長さを基にした序列を重視するのが、タテ社会の特徴だ。

タテ社会にはよいところもある。たとえば、能力競争をあおりたてないので、能力主義社会に比べれば人間関係はおだやかだ。そのため、日本の農村のような閉鎖的な集団を長期にわたって維持するには都合がよい。

しかし、革新的な技術やビジネスモデルをつくりあげる機能は皆無に近い。たとえば学会である。日本の学会と、欧米の学会を比較すると、議論の活発さは、圧倒的に後者が勝る。

日本の学会でその道の権威が発表したとき、質問者は「~先生のご意見はすばらしく、私ごときものがコメントを述べるのはおこがましいと思いますが……」と前置きが長いうえ、正面きった反論はしない。欧米だと、ノーベル賞クラスの学者が発表しても、「ビル(発表者のファーストネーム)、すばらしい発表をありがとう。しかし、ぼくはあなたの研究に対し、次の部分は反対だ……」と明快な反論が若手研究者からも出される。それを受けて、発表者が反論するときもあるし、ほかの研究者から別の視点の反論が出て、盛り上がることもある。斬新な研究を生み出す精神風土としては、「個人が自立し、お互いが平等な関係にあることを前提とする」欧米の学会のほうが優れていると言わざるをえない。

日本企業が、この20年間、グーグル、アップル、アマゾンなどのような革新的なビジネスを生み出せなかった原因の一つが「タテ社会病」だと思われる。