生き残りを賭けた老舗同士の経営統合
山名の訓示でも触れられているように、同社は、コニカとミノルタという共に長い歴史のある2つの会社が統合してできた会社だ。杉浦六三郎が「小西屋六兵衛店」で写真および石版材料の取り扱いを始めたのが1873年、後のコニカ株式会社の創業だ。田嶋一雄が1928年に創業した「日独写真機商店」が後のミノルタ株式会社となる。
両社とも数々の日本初、世界初の商品を生み出すほどの優れた技術力を有する企業だ。たとえば、コニカの「さくら天然色フィルム」は国産初のカラーフィルム、「ジャスピンコニカ」は世界初の自動焦点カメラだ。またミノルタの「ミノルタフレックス」は国産初の二眼レフカメラ、世界初のオートフォーカス機能を搭載したシステム一眼レフカメラ「α-7000」に始まる「αシリーズ」はオートフォーカス一眼レフの代名詞ともなった。写真技術を応用したコピー、プリンター、ファックス、それらの機能を兼ね備えた複合機へと事業を拡大していった。
だが、カメラ・フィルムの創業事業をデジタル化の大波が襲った。銀塩フィルムの市場は急速に縮小し、デジタルカメラは過当競争のため瞬く間に利益の出ないビジネスになってしまう。精密機器業界の中心は、写真関連よりも複写機や複合機等の情報機器事業に移っていった。
情報機器事業において、コニカとミノルタは業界大手の一角を占める存在ではあったが、キヤノン、富士ゼロックスを含む富士フイルムグループ、リコーの上位3社に対し劣勢で、経営統合で競争力を高めたいという点で思惑の一致を見るのに時間はかからなかった。2003年1月に経営統合を発表後、8月には新会社を設立。わずか半年余りでのスピード統合は、「なぜそんなに速く統合できるのか、参考にしたい」という問い合わせが数多く寄せられたというほど注目された動きだった。経営統合を成功させるために何を重視していたのか。新会社コニカミノルタホールディングスの初代社長に就いた岩居文雄はこう言っている。
「もともと両社は規模が小さく、潤沢な開発資金や人材があったわけではない。この業界で生き残るには、競争力をつけるしかなく、そのために経営統合した。ですから、すべての判断基準は『競争力強化』です。過去の成功体験は一切捨てる」