発明対価引き上げの動きが広まっていたが……

あわてたのは経済界である。

高額訴訟の増大に驚きと反発を露わにする経営者もいた。当時取材した大手企業の知財部長は「経営陣からうちはどうするんだ、と再三再四対応策を求められるが、現状では解決策は見つからない。訴訟を起こしそうな不満分子だけを対象に報奨金を出すわけにはいかないし、さりとて今の報奨制度の上限を倍にしても根本的に解決するわけではない」と頭を抱えていた。

経営者にしてみれば、お金に関心がなく、研究一筋で働く従順な社員がまさか会社を訴えることはありえないと高を括っていただけに、衝撃も大きかったのだろう。

ただし、経済界の言い分にも一理はあった。

35条の「相当の対価」は発明で受ける企業の利益と、発明者の貢献度で決めると定められているだけで具体的な算定基準を示していない。したがって「発明者の貢献度」をどのように計るかは裁判官の判断に委ねられ、企業にとってはいくらの支払いを命じられるのかまったく予測がつかないのである。支払い金額がわからなければ、企業活動にも支障が生じる。

たとえば、青色発光ダイオード訴訟の判決では、裁判所は予想される会社の売上高の20%、約1200億円を特許料収入と算定。これに対する会社と開発した中村氏の貢献度をそれぞれ50%と認定し、中村氏の発明対価を半分の約600億円とした。だが、中村氏は会社に200億円しか請求していなかったために、裁判所は請求どおり、会社に200億円の支払いを命じる判決を下した。

一方、日立製作所の訴訟判決は発明者の貢献度を20%、味の素判決は5%とした。だが、特許料収入の算定、発明者の貢献度をどのように算定するのかを示していない。

特許問題に詳しい弁護士は当時「裁判所が後づけで根拠のない仮想的な数字を積み上げて相当対価を算定し、ある日突然企業に支払いを命じる。企業にとって予測可能性は皆無だ」と批判していた。

ただし、企業経営に素人の裁判官が人事評価の領域に踏み込み、5人の開発者がいたら「あなたの貢献度はいくら」と一人ずつ査定するのは土台無理な話だ。

そこで妥協の産物として生まれたのが04年の特許法改正だ。職務発明に対する相当対価の請求権を残しながらも、

【1】 報奨金制度の策定にあたっては社内手続きが合理的なものであれば、裁判所は報奨金額を尊重する。
【2】社内手続きの不備や対価の額が不合理な場合は、現行どおり裁判所が対価の額を決定する。

というもの。

社内手続きには「対価を決定するための基準の策定に際して使用者と従業員の間で行われる協議の状況」「策定された支払い基準の開示の状況」「対価の額の算定について行われる従業員の意見聴取の状況」の3つが含まれる。

この改正によって一部の企業は独自の報奨金制度を設けて、従業員の発明対価を引き上げる動きが広まった。たとえば三菱化学は営業利益を指標に総額で最高2億5000万円を支払う報奨制度を設けた。すでに2億5000万円をはじめ1億円以上の支給実績がある。また、法改正によって訴訟件数が減ったといわれる