世界のチャンスを平等にしたい
帰国して3カ月くらいのトライアル期間を設けてサービスを始めてからは、もう頭の中はこのビジネスのことでいっぱいになっていました。勝算があるとかないとかではなく、とにかくこの仕事をしたくてたまらない。何だかわからないけれど、これが自分のしたかったことなんだという感覚がありました。
サービス自体には利用者が最初はほとんど来なくて、3カ月の売り上げは1万5000円くらいでした。お金や生活のことは心配でしたが、会社もこの期間中に辞めたんです。仕事中も、あんなことができるかな、こんなことができるかな、とずっと考えているので、上司の前でもぜんぜん話を聞いていなくて。「おまえプロフェッショナルじゃないな」と。それくらい上の空で、「確かにそうです」と言って辞めたという感じでした。
いま思うと、大きなチャンスを感じていたんでしょうね。スカイプっていうプラットフォームがあって、フィリピン人というホスピタリティや明るさを持っている人たちがいる。それをつなげる立場に自分が立てて、しかもベンチャーや海外といった僕の好きなキーワードもすべてが同時に含まれていたから。
これは一緒にいる中村もそうだったと思いますが、ここでは誰からの指示も受けないし、まったくのゼロベースのところから何か一つ新しいものをつくれるんですよね。社会人になりたての頃、仕事が楽しい時期ってあるじゃないですか。あれをもう一度味わっているような気持ちで、事業と言うものを始めれば、ずっとこの楽しい感じが持続できるんじゃないかと思いました。まあ、結果的に話はそれほど単純ではなかったわけですが(笑)。
僕はこの事業をやる中でいまようやく、自分が社会に何をもたらしていこうとしているのかが、形になってきたような気がしています。やっぱりビジネスですから、「社会を良くする」ことから逆算して事業を生み出せるほど甘くはない。でも、事業には経営者の人となりがやっぱりにじみ出てくるものなんですよね。
学生時代に海外旅行をしていたとき、世界を見て「すごいな」と思ったことがあるんです。それは仕事の値段が国によってあまりに違うことでした。トラックの運転手の仕事の給料などは、日本とインドでは10倍は違っているわけです。
あるいはフィリピン大学のキャンパスの道は穴だらけででこぼこしているけれど、学生たちは生き生きとした英語を喋りながらそこを歩いて行く。戦略コンサルで世界中の人たちと働いていると、世界には当たり前だけれど優秀な人たちがいくらでもいて、フィリピン大学の学生たちの多くもそうした人材だったわけです。
そうした風景が重なり合っていく中で、僕は世界にはチャンスが平等にはないんだと思うと同時に、それを平等にしていくことがこれからの時代の潮流だと感じるようになりました。そこをしっかりやっていけば、周辺にビジネスのチャンスは必ず落ちているはずだ、と。「Chances for everyone, everywhere.」という言葉を掲げたのは、レアジョブもそのチャンスをつかもうとしている会社の一つだ、という思いがあるからなんですね。