「産みだす」というエクスタシー
少し前のことですが、古い付き合いの友人が経営する会社が上場し、その祝賀会に招待してもらったことがあります。その会社は、画期的な技術革新による世界への貢献に期待が集まり、上場直後からかなりの株価がつきました。会場にはテレビでよく見るような経済界の重鎮もたくさんいて、濃厚なエネルギーが解放された、なんとも熱気を帯びた空間でした。
会の最後、その友人による、来場者に向けた今後の展望についてのプレゼンテーションがありました。そこでは繰り返し、「世界への貢献」が語られました。僕も一応この世界の一員ではありますが(笑)、自分のエゴに向き合うことで精一杯の小さな人生、旅行もせいぜい10カ国程度しか行ったこともないし、「世界」を具体的にイメージすることなどなかなかできません。それでも、その時はなにかとてつもない高揚感と触れられんばかりのリアリティがあって、彼の描く世界が僕の頭の中にも投影されていたと思います。
プレゼンテーションが終わり、その友人は会場の三方に向けてお辞儀をしました。ゆっくり、深々と。その時、彼から放出される野心的なエネルギーの爆発というか、男のエクスタシーとでも呼べるようなものを感じて、激しく胸が高まりました。あれは素直に羨ましかった。そして、あの場に立った人間にしかわからない、究極の至高体験があったのだと思います。
とある心理学者はそれを「出産のようなもの」と例えていますが、「産みだす」という快感は、人間にとってこの上ないものなのだと思います。おそらく、ただそれを積み重ねることが、人類が進歩し、文明が進化することの本質なんじゃないでしょうか。幸運にも、その一端を見ることができた気がします。そして僕は、それこそが世界をつくり、変えていく、唯一のものに他ならないのだと確信しました。もっと言えば、決してその本質から目を背けてはいけない。