第一次内閣が終わったときから、いつかもう1回、安倍政権を、と思っていた菅は、民主党政権の崩壊と自民党の政権奪還を視野に、安倍の再擁立に動いた。総裁選を控えた12年8月15日、安倍と2人で2~3時間、話し込み、「絶対に総裁選に出るべき」と口説いて出馬を決意させた。

小此木八郎・衆議院議員

小此木八郎はこの総裁選では相手方の石破を応援した。「菅さんは親父の秘書時代、いつもこつこつとやり抜いた。一昨年の総裁選も、選挙運動の基本的なことをきちんとやった。最後まで詰める。だから、負けそうで負けない」と強調し、「たとえば」と言って「菅戦法」を分析した。

「総裁選のルールを熟知して緻密に計算する。1回目の党員選挙で8割を取られたら負けるけど、7割だったら勝機ありと見極める。安倍さん本人は関係ない。本人は俺がやる気にさせる、と。それで『聞いてみたら、石破さんは案外、国会議員に人気がないから、向こうが半分取ったら負けだが、4割なら勝てる』と、多分、菅さんだけが安倍さんにこんな説明をして、『出馬を』と言ったのでは」

菅戦法は奏功し、安倍は逆転勝利で2度目の総裁の座を射止めて返り咲きを果たした。政権に復帰すれば、文句なしに菅官房長官、と安倍は早くから決めていたに違いない。12年12月の総選挙で自民党は大勝し、第二次安倍内閣が発足する。菅は既定路線どおり官房長官に就任した。

叩き上げ人生の弱点とは

菅は二度にわたって安倍擁立の中心となって安倍首相復活劇を演出し、いまや「安倍内閣の大黒柱」「安倍首相の軍師」と呼ばれる。安倍政権という馬車を牽引する馬の役と、猛進型の安倍首相の手綱を締める名御者の一人二役をこなす場面も目立つ。

先述のとおり、安倍とは自民党内での派閥や人脈の流れは違ったが、北朝鮮問題で意気投合し、12年にわたって同じ道を歩いてきた。だが、叩き上げと世襲の3代目政治家という点だけでなく、基本的な思想や路線、政治家としての体質、肌合いなどの違いを指摘する人は政界には少なくない。