「脱派閥」と「世襲打破」を唱える菅義偉官房長官は自民党でも異色の存在だった。派閥を渡り歩き、安倍政権を支える官房長官に駆け上がった政治家の力の源泉を探る。

(※第1回はこちら http://president.jp/articles/-/12601)

「渡り鳥なんて気はまったくない」

国会に出た菅の行動が初めて注目を集めたのは、98年7月、橋本首相退陣後の自民党総裁選であった。

菅 義偉・官房長官(ロイター/AFLO=写真)

小渕派の小渕と梶山、それに小泉純一郎(後に首相)が名乗りを上げる。小渕派で菅と佐藤信二(元運輸相)の2人が梶山支持を表明した。派の実力者だった野中広務(後に官房長官)が「菅だけは許さない」と激怒したが、ひるまない。梶山とともに小渕派を離脱し、加藤派に移った。